優しさ落し物

やっと、すこし体調が安定してきた。というか、夜に調子が良くなるのはいつものことだけれど。

 それにしても、生活が一変、というか、かなりおかしくなっていて、それは俺だけではないのだけれど、この二ヵ月位の間はかなりまいっていた。

 昨日今日と、目的なく、家の周りを昼間に歩いていて、少しだけ気分が上向きになるのを感じた。外に出て歩きながら音楽を聞いて、街路樹の緑に目を向けるだけで、余計な雑念が薄まる。いつまでも悪意や不安不満に溺れるような生活態度では愚かだ。愚かなんだ。賢い生き方なんてできそうにない、けれど気分は悪いよりも良い方が好き。

 たまに、好きな物が分からなくなるどうでもよくなる。その割に惚れやすくすぐに感情がざわつく。そんな性分のおかげで大変困難になっているのだけれど、本を読む/書くというのはそういうのが役に立つ、ということにして。

 雑記。

 三好達治随筆集読む。彼の詩がとても好き。この随筆では、詩人が自然、動植物を見つめる精緻な眼差しもあるが、俗への嫌悪や虚ろな心情や自虐的な文も。だが、

どんなに寂寥になれて孤独を愛する人でも、人間はみな、大なり小なり他人の生活によって自分の心を支えているのです

と、心の広さを感じる

サン=テグジュペリの『夜間飛行』再読。郵便飛行業が今よりずっと危険だった時代に、夜間飛行という危険な業務を行う人々の話。彼らにとって夜空は、空は、死と隣り合わせで、しかし魅惑的だ。厳しささえ感じる勇敢さ。飛ぶ者、陸で見守る者それぞれの思いを現場の厳しさと、少しのロマンスで描く。

シュニッツラー短編集『花』読む。訪れた悲劇に対して、登場人物の心理描写を丁寧に描いている。目の見えない弟が、あるときからずっと暮らしている兄を疑う展開は辛い。

1983年岩波文庫の、売上カード挟まってた。
この頃文庫は旧字体で200円だよ。この時代の本棚見てみたい

ロウ・イエ監督『パリ、ただよう花』見る。北京からパリにやってきた教師の花。彼女は様々な男と身体を重ねる。どんな人種でも教育が近しくても遠くても、すれ違う人々。弱さに肉欲に寂しさに溺れる、愚かな人々。でも、そんな人達もたまに優しい。人々のどうしようもなさを捉えた切ない映画。

 彼の映画を何本か見たのだが、ほとんどの映画でセックスシーンと怒鳴り散らすシーンが出てきている。怒鳴り散らすシーンは、結構見ていてきつい。感情の爆発や行き違いというのに、彼は固執しているのだろうか。

 フェティッシュは、オブセッションは苦しみを与えるかもしれないが、何かを作る時には大切な物かもしれない。俺は同じような主題のものを繰り返し作る人が割と好きだ。とか言って、自分がそうだからかもしれない。

 ローデンバック『死都ブリュージュ』読む。愛する妻を失い、その想いに、何年も囚われている男。その妻に瓜二つの女性を偶然見つける。しかし、その女は身持ちの悪い踊り子だった。男の幻想は蘇り、朽ちる。敬虔なカトリックの都市で、彼は愚かな行動を止められない。ドラマチックな展開は巧みだ。

ジィップ著の戯曲『マドゥモァゼル・ルウルウ』再読。わがままで天衣無縫な14歳のじゃじゃ馬娘ルウルウの、自由なお喋り。訳が森茉莉で、彼女がルウルウを愛して、作者に手紙を出し、翻訳。森茉莉が手紙で、ルウルウが見える、今どこにいるのですかと尋ねているのは可愛らしい。装画は宇野亜米喜良

宇野千代 女の一生』読む。彼女の人生や生き方、仕事や好きな物を豊富な写真つきで紹介する一冊。晩年の彼女のエッセイを数冊読んだ位の俺でも十分に楽しめた。
好きなことには貪欲だが、喜怒哀楽が穏やかで、人と幸せを大切にする生き方。読んでいると心が解れる

 そういえば、最近またパソコンがフリーズからの強制終了からの普通に動いている、という状態で、俺のノートパソコンwin10だが6,7年使ってるかもしれない。しかもずっとつけっぱ動かしっぱなし。何でクラッシュしていないのか、分からない。いつ壊れるか。今壊れたらかなり金銭的にきつい。でも、もう、そんなに長くはないのを騙し騙し使っている。

 まるで俺の身体みたい、なんて思うけれど、俺の身体に代わりはいないのだ。たまに、些細なことで、身体があって意識があって良かったと思うこともあるし、俺は怠惰ですぐに回避しようとする癖に、自分の身体のメンテナンスもサボっている、痛めつけている。

 自分の身体に良いことをしよう。というのを自然とほとんどの人ができているというのは驚きで、しかし体調不良のままの時間よりかは何かを消費して埋葬する時間の方が有意義なので身体のことを考えて数日過ごして見たら、体調や気分が多少、しかし確実に改善された。

 ああ、俺は優しくされたかったのかなあというか身体は人は優しくされたいものかなあと思うのだが、俺は落し物が多くてそういうのを見つけるのは不慣れでぼんやりとしてしまう。

俺の為の図書館の司書でなければ、辺獄で迷子

色々と安定していない。こんな時だから当然なのだけれど。

 雑記。

 『ボルヘス怪奇譚集』再読。世界中の、数十年前から、数千年前まで様々な物語を集めた一冊。滑稽や皮肉、幻想や理不尽、悲劇や洒落。幅広い物語の中の、数ページの断片の数々は、読む者を夢の図書館へと案内する。本を求める人はきっと、自らの終わりない図書館を編んでいるのかな。

 『林芙美子随筆集』読む。彼女といえば、『放浪記』の困難な生き様が頭に浮かび、この本にも愛金嫉妬悪口強気、もあるが、それよりずっと穏やかな文が並ぶ。生活の雑事や野草や詩句を愛する姿は、微笑ましい

川端康成の『禽獣』を


川端氏の触覚、視覚すべて愛(かな)しく美しい。という一文は胸を打つ

白洲正子『草づくし』読む。草花や和歌や古典文学や骨董品を自由に語る楽しい本。

若菜摘む、に俺は残酷な喜びを見たが、著者は豊穣の祈りとエロスを見る。
山部赤人の句

春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ
野をなつかしみひと夜宿にける

(菫摘みに来たら、魅せられてそこで一夜)
可愛すぎだろ。

今日も、何度も眠り続けて、夜になるとましになる。ふと、『マイ・プライベート・アイダホ』のことを思う。ゲイの監督が撮った(ガスの映画好きだが)、美少年同士の友情、片思い、犯罪。当時見ていて恥ずかしくなった。多分、俺は彼らに憧れていたんだと思う。あと、設定はハードだけど優しいから。

寺田寅彦『柿の種』読む。本人が日記の断片のようなもの、と言う短文集。動植物の話題がやや多いか。観察をして、明晰で読みやすい文は著者の人柄からか。

震災後、焼けた樹木に黴が生え、恐ろしい速度で繁殖し、植物も生える様を

焦土の中に萌えいずる様はうれしかった。

という言葉は胸に来る

YMCKのファミリー スウィング
聞く。いつものjazz+チップチューンの楽しい仕上がり。タイトル通り、ジャズ色強めで、ミュージカル映画を見ているような気分。捨て曲無しの、ワクワクしてちょっぴり切ないアルバム

ゴダール『フレディ・ビュアシュへの手紙』また見る。シネマテーク館長フレディへの映像手紙、という手法のわずか13分の短編映画。
音が画が動画が美しい。最高。後期ゴダールは自然も美しく撮る。
手紙というより、いつもの自由な独り言、エッセイ。平和な内容で、穏やかで幸福な時間は、すぐに終わる

シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』読む。一般的なアイスキュロスの作品とは異なる解釈で、暴虐と全能の神ジュピター(ゼウス)への抵抗と愛の成就による勝利が描かれる。訳注が数百!一読しただけでは読み取れてない点も多いだろうが、大地や月や精霊や神々の織り成す叙情詩はとても美しい。

『インノサン少年十字軍』読み返していた。少年十字軍って題材、耳から血が出る位好き。結末は予想がつくのに。踏み散らされる花々が好みというよりかは、彼らが絶望へ立ち向かう姿に心を打たれるのだと思う。
この本は全三巻。濃密。好きとか言っておいて、切なくてラストは読み返すのが辛い

夜になって少し安定。毎日こうだ厭になる。早く白骨かチェブラーシカになりたい。
軍艦島全景』の写真集をパラパラ見ていた。この本は、何年の何号棟はどういう目的で利用されていたか細かく説明されていた。写真だけではなく、生活の気配を伝える説得力がある。もう、誰もいない風景は心を慰撫する

Nq のrecording syntaxを数年ぶりに聞く。工業製品のざわめきのようなエレクトロ。買った時俺は学生で、CDを買い漁っていた。このCDもそうだが、ライナーノーツに佐々木敦の名前を見つけると、それだけで当たりだと分かった。なのに、俺は音楽雑誌をほぼ読まないから、彼の仕事をほとんど知らない

『フランシス・ベイコン 対談』再読。晩年のインタヴュー。偉大な画家にゴッホを上げる。二人の絵には近しいものを感じる。自分の画が人気なのは運が良かったと語る曲者の彼

僕の作品は、自分が嫌いなあらゆるものと、自分に影響を与えるあらゆるもののお陰というわけさ

永井荷風『花火・雨瀟瀟』再読。随筆のような小説のような作品と、短編小説が収録。知らぬ間に孤独になってしまうと言う著者。自己憐憫の甘さは薄く、雑事や自然の移り変わりを乾いた眼で美しく捉える。短編は浮気芸者嫉妬冷酷、という小品で、それを上手く書けるのは、やはり著者の孤独からか

音楽がないと不安になるので、寝るときも常に流している。しかし体力は消耗する。
思い切って音を消す。交感神経は喜んでいる気がする。
音の無い時間に身体を調律するのか、と思うと、調律師、チューニング出来る人が冥府の住人のように思えてくる。音を殺して身体を正しくするのだ彼ら

トリュフォー監督『野生の少年』また見る。昔の実話が元。森で発見された捨て子に教育を与える話。冒頭四つん這いで森を逃げる少年と追いかける犬達はすごい迫力。見世物になったり教育を押し付けられたり、胸が痛む場面が多い。だが、自然の中を二足で駆けたり温まる交流もある。少年の演技とても巧い

 教育を受けてはいても、雨を全身で受けて歓喜を表す少年。てか、ほんと少年の演技がうまいのだ。

ヒッチコック/トリュフォー』見る。トリュフォーが書いた『映画術 ヒッチコックトリュフォー』を軸に、十人の監督が彼や著作について語るドキュメンタリー。サスペンスとサプライズは違う。とは、ホント名言。彼の映画の作法、美しいパズルについて、敬意と興奮で人々が語る様はとても楽しい。

 この映画でウェス・アンダーソンを久しぶりに見た(映画ではなく本人だが)。彼の映画、大抵家族が大きなテーマで、暖かくてトラブルばかり。でも、彼の映画見てないなー。見たい監督結構あるんだよな、でも。思うだけ。

 柳田国男『日本の祭り』読む。神事である祭り。その歴史を体験していない学生に向けて語る講義録。祭りを通じて、人が成長し結びつく。民俗学的な信仰の形。今は形骸化した文化、しきたり。経済発展は、文化を殺し、新しい娯楽や聖なるものを生む。忘れられる思いを記録し伝える事もまた、大切な事

 『二人のヌーヴェルヴァーグ』見る。ゴダールトリュフォー。批評精神と映画への愛と才能で結ばれた友情は、ゴダールが政治へと傾倒していくことで決別へと向かう。出てくる映画、ほとんど見てた。彼らの、あの時代の映画が大好きなんだ。才ある者は挑戦する者は常に新しい。彼らの作品も、勿論。

 見ていて楽しくて切なかった。高校時代に彼らの映画と出会って、それからずっと彼らの映画が好きだから。色んなあの時見たシーンが、彼らの映画の断片だけでも見るのは楽しい。ただ、俺は古い物ばかり愛するのか、あの時のまま年だけとって変わらないのかと我が身を思ってぞっとする。

 またそれとは別に、二人の決別。トリュフォーが亡くなって、しかしゴダールはまだ撮り続けているという奇跡に感謝すべきか。

 二人の才能ある監督に愛されたレオーにも焦点が当たっていて良かった。インタヴューで彼が、(一時期)近しすぎるトリュフォーに反発心を覚えるようになり、ゴダールの映画ではのびのびとできた、というのが何だか聞いてて微笑ましくなった。

 三日連続でトリュフォー関連の映画を見て、それはネットレンタルでたまたま適当に選んだのを見ただけなのだが、やっぱりいいな、好きだなと思った。それは映画の本の芸術の中の巴里。俺は一生会うことがない、できない巴里。

 体調がぐらぐらしている。というか、こんな時期に元気な人の方が少ないだろう。開き直って、読書の時間は増えたような気がするが、やはり街に出られない、色々な物が静かに幕を下ろす姿が流れ過ぎて、自分の感覚が麻痺してきているし、俺の何かも駄目になってきている。

 とはいえ、生活は続く。生きている限り。俺は俺の身体を任されているのだから、幕引きまでは良い選択をしなければ、つかみ取らねばならないんだ。

 書き終えた小説を、ちょこちょこ直しつつ、気持ちや小説を整理している。男を、生き生きとさせて、埋葬する。そういう物ばかり書いているのかと思うとぞっとする。でも、俺は俺の為の図書館の司書でなければならないのだ。それが俺の役にしか立たないにしろ、俺は書くことで虚ろな自分を繋ぎ留めているのだ。

 数年前から行き当たりばったりで、「人に読まれることを意識した」「俺が読みたい、古臭い」ファンタジー小説をネットにアップしている。ほんの少しだが、読んでいる人もいる。

 人に読まれる、ということで、最初の方に書いた文章は特に読みたくない。俺は読みやすい文章なんて書いてなかったし、書くつもりもなかった。

 エゴイスティックな自分の為の小説ならいいだろう。でも、さらりと読めるゲームみたいな、ファンタジー小説が読みたかった。

 読みやすくしようと思ったら、単にスカスカな感じになった。人に伝わる表現を、と思うと味気ない物になる。更新頻度も少ないし、惰性で続けていた。

 でも、気晴らしに小説を書くというのは、それなりに身体にいいものだ。最近は、物語の中でよく分からない図書館で、シェヘラザードの語る「おはなし」と称して、ボルヘス矢内原伊作やフランシス・ジャムやノヴァーリスボリス・ヴィアンを引用していて、書いていて楽しい。

 もっとも、読んでいる方がそれで楽しいのかは分からないが、読んでいる人がほとんどいないという点では、好き勝手できて気が楽でいい。「人に読んでもらえるような」作品にしよう、とは思ったが、自分の為に書いているのだ。

 登場人物、がでるとして、誰かの人生に向き合う作業、というのが作品を作る上では必要になる場合が多いだろう。それは大抵とても疲れる作業だ。毎日他人の苦しみや喜びのシャワーを浴びていたらおかしくなる。

 でも、小説は、文章は、何でもいいから書き続けている方が良い。地獄のようなマラソン、なんて思うよりかは、司書なんだ世界の編集者なんだと思う方が身体にいいだろう。

 体調ぐらぐらだけれど、何かを消費して、何かを生み出さなければ。それが当たり前なんだって、そうやって生き延びなければ辺獄で迷子

 

その位の人としての心はこぼさないように。

小説を書き終えた。これから校正や推敲が待っているので、まだまだ終わりではないのだが。でも、一応は終わらせた。でも、それが何になると言うのだろうか。書いているうちは勿論書きたいから書いているし、それなりに楽しんでいたり高揚したりする瞬間がある。

 でも、俺の作った物は泥の中にゆっくりと沈むだけだ。そして俺は作品を書き上げるといつも途方に暮れる。誰かにとっては価値がない物でも、俺に都は汚泥の中の硝子片のようなきらめきだから。それさえ、幻さえ見られないなら、俺は生きていることに不安定になり過ぎて、どうにか誤魔化し、寝続ける。死んでるのと変わらない。

 それには自由に外出できない等の、現在の状況も最悪で、一応、収束には向かっているが、こっから日銭稼ぎをすることを考えると、頭が痛い。最近はまた過眠が酷い。何かから逃れたいけれど逃れられない。解決したいことは、俺の手では不可能に近い。それでも、当然人生は続く。無理やり空元気を出してどうにかするのも限界ではないか、と二十代の終わり頃から思っていて、しかしそれを続けている。

 皆、悪魔になれずに息絶える。でも、誰かの作品を読むと、自分に感受性があるような気がしてくる。少しの間だけかもしれない。でも、それでいいのかな。俺には覚悟が足りないのかな。

 本を読むのって、かなり体力精神力を使う場合が多いと思う。だから体力も集中力もない怠け者の俺が、よくつづけているなあと思うことがあるが、何もない人にも、本を開けばほら、人間と怪物と天使と、たまゆらの共犯者。

 雑記。

 ボリス・ヴィアン『心臓抜き』再読。題名最高。過去を持たない精神病医の見る異常な世界、探求。
だが、それ系のは、ウニカ・チュルン、アンナ・カヴァンバロウズといった強者がいるので。
風景描写や会話の軽やかさや面白さを味わうのだ。

ジャン・ジュネ詩集再読。彼の小説を傲岸な詩集とするなら、この詩集は幻想的短編小説か散文のようだ。男を悪徳を死を犯罪を性器を肉慾を、天使や神や花々で飾り、惜しみない賛美や愛の雨を降らせる。
愚かで薄汚く、きらきらした臥所或いは墓標。大好きだ。

日曜日の朝に
the velvet undergroundnico
sunday morning聞くと、死んでるのか生きてるのか、地獄の入口にいるのか煉獄を散歩しているのか、ホンワカふわふわした気持ちになる。

二曲目の僕は待ち人はヴァネッサ・パラディがカヴァーしていて、下手くそで最高にキュート

めっちゃ久しぶりに、漫画読む。原作SHOOWA漫画奥嶋ひろまさ『同棲ヤンキー赤松セブン2巻』めっちゃ面白かった! 迫力あるケンカやヤバイ展開あるし、ぎこちなくってくすぐったい触れ合いも、直球エロもある。読み応えすごい。次の単行本も楽しみ!

カフカカフカ寓話集』読む。彼の名前で想起する、終わりが見えない有名な作品ではなく、一ページの作品から、短編まで様々な物を集めた、ボーナストラックのような作品集。題材には動物や神話がちらほら。陰鬱さというよりも、奇妙な世界の観察、描写をしているような作品が並ぶ。

ゴダールの『勝手にしやがれ』のパンフ見る。表紙だけで、高校の時に戻れる。悪い役のベルモンドと少年のように愛らしいジーン・セバーグのコンビは最高。インタヴューでゴダールは、この作品の成功について複雑な心境を語っているが、
ギャング映画にあっては、男は死なければならない。って流石!

 だるくて虚しい日々が変わることはないだろう。だから、錯覚できますように。手に取る硝子片、それだけできらきらしているんだって、その位の人としての心はこぼさないように。

殺して花束を

物凄く嫌な思いをして、こんな誰も見ない雑記でさえ、詳細を書きたくない位。何日も、今もその悪罵や汚い言葉が俺の身体から消えない。今日、色々と思い出して何度も涙がこぼれていた。きっと、一生消えない。なんて、俺が単に泣き虫なだけ。

 俺みたいに、色々な物がなく、下衆な文学とかが好きな人種は、滓の様に溜まった汚泥を、浄化したり忘れられないまま生きるのだろう。そして、日々溜まる毒を消化できず、俺みたいなうちの誰かは、その汚泥の毒が回り、つまらない犯罪や狂気や自死に手を染めるのだろう。

 そんなの馬鹿らしいし、馬鹿だと思うんだけれどね。馬鹿だよでも哀しいな。薬やアルコールを飲んで寝るしかない。その余裕さえなくなったら、なんて怖いから考えない。

 一応東京でも収束の傾向にあるのは喜ばしいことだ。図書館や本屋や古本屋や美術館に行けない日々の虚しさ!!!

 色んな人が職や店を失ったり、見つけられなかったり。俺も人の心配をしているような、余裕がある人間ではないけれど、きちんとした理由もなく攻撃的になったり、他人を蹴落としたり騙したりするような人間にはならないように。そうおもえたら、まだましだ、でも、何もかも嫌になったらなっちゃうのかななんちゃって。

 中断していた小説をコンスタントに書き続けている。いつもの少年青年中年が苦しみ悲しみたまに微笑む厭な話。中でも胸糞悪いシーンを書くのは、自分でも本当にうんざりする。しかし、書かねばならないのだ。誰の為?俺の為? そんなの知らないし、どうでもいいけれども。

 雑記。

 

ネルヴァル『暁の女王と精霊の王の物語』読む。狂気から回復して、憧れの東方へと旅に出たネルヴァルの、芳醇な幻想恋愛譚。恋の駆け引きと言うよりも、神話、精霊、建築、自然、文化に関しての記述が多く、壮観。豊かなイマジネーションが作り上げた世界の中で、俺も旅行者気分だ。

何度も何時間も眠り続けた。色んなことから逃れたいと願うも、目が覚めたら夜になっているだけ。ほぼ、誰も読まない本を読み、ほぼ、誰にも読まれない小説を書く人生。げんなりする。しかし、俺を慰め豊かにしてくれるのもまた、本なのだ。愚か者の為の阿片窟。本当に嫌になるのに、読む本を探す

ユルスナールの『流れる水のように』再読。これに収録されている『無名の男』という作品がとても好きだ。教養に乏しい、しかし賢明で考えなしな男の、澄んだ瞳の野生。極めて自然な、自死のごとき幕引き。
彼女は本当に描写が的確で冷静で、詩情と知性も持ち合わせていて、まるで俺は城に招待される気分だ。

Chet Baker聞きながら、小声で歌う。
let get lost
i fall in love too easily
but not for me

簡単な英語だから、俺だって歌える。てか、歌うってすごく健康に良い。それに、色男の歌声も。
嘘でもほんとでも、恋も失恋も悲劇も甘く軽々しく密やかに、心にしまって、時折、一人見つめ返す。

ボルヘス『不死の人』再読。いつもの、夢、神話、固有名詞、物語が入り混じる、ボルヘスと共に歩む冒険短編集。引用や物語豊さと共に、物語の中に、決して永遠には到達しない、十全さに触れてはならない。という意志を感じる。なのに、それを求めてしまうのだ。完成された、かのような円環の夢を見る

『天空の秘宝 チベット密教美術展』の図版編と解説編の二冊セットのカタログを見る。俺の乏しい仏教の知識でも、解説は丁寧で、豊富だ。何より、迫力のある作品が並ぶ。俺には信仰が無いし、死んだら終わりと思っているが、信仰がある人が作り上げる作品は、奇妙で不可思議で、どこか、神々しいのだ。

内藤ルネの本を読み返していた。師である中原淳一に憧れ、自身も、その才能で可愛らしい絵で雑誌を飾った。美しさを大切にする人、そういう人の精神や作品を見ると、花々を見るように、心が豊かになる。
著者の人生は順風満帆ではない。でも、彼は負けずに歩み続けた。
かわいい、美しいはいつでも正義

シェイクスピア十二夜』読む。互いに相手は死んだと思い込む双子。しかも妹は兄そっくりの男装をする。公爵の恋物語、人違いの喜劇。洒落た台詞やテンポの良い展開で、凄く面白かった。舞台で見たいな、なんて珍しいことを思った。でも、舞台は気軽には見られないんだよなー

tortoiseのファーストアルバム、繰り返し聞いてる。外国人のアルバムなら一番!レベルで大好き過ぎる。
穏やかでありながらもロック。何よりも、少ない音でこんなにも豊かな表現ができるのかという驚き、心地良さ。高校の頃から、何年経ってもずっと大好き。

夜になって、澱んだ気分で外に出て、フジファブリックのパッション・フルーツを聞いたら、とたんにフワフワで最高。志村がいないなんて信じられない、面識もない。でも、彼らは最高。数分間極楽

 家にいて様々なことが禁止されていて、それでかなりストレスや不安やらがたまっているが、本を読んだり文章を書く時間がとれるのはいいことだ、と無理やりいい方へ考えようとする。

 というか、本当に、素晴らしい小説を読んだり、俺の男が嫌な目にあう、誰かを埋葬する小説を「書く」というだけで、それだけで救われた気持ちになるのだ。それが、何にもならないとしても。

好きになってしまったから仕方がない

終わらない。東京に住んでいて、住宅街の近くなので、商店街がどの時間帯も人が多い。夜しか気軽に買い物できない。夜は薬局やお菓子屋とか百均がしまっているのがつらい。

 夜は夜で、散歩の楽しみはある。でも、さすがにそろそろきつくなってきた。寝て、読書。或いは腐るだけの日々。外に出て何かを吸収しなくっちゃ。新しい本を手にしなくっちゃ。通販は好きだけど、時間がかかるし、現物見たいんだ。本だな、本がたくさん並んでいるのを見たいんだ。

 とはいえ、色々再読して、改めてその本のことを知る機会を得られたのは、良いことだ。マイナスがあまりにも大きいけれど、そればかりに目を向けて体調を崩すよりかはまだ、読書の時間を。

 

雑記。

高峰秀子の対談集『いっぴきの虫』読む。相手が、東山魁夷松下幸之助森繁久彌市川崑……。だが、女優高峰は一歩引きながらも、相手と対峙して怯まない。
木村伊兵衛との対話の際、白をバックに写真を撮ったエピソードから、晩年の成瀬も同じことを言っていたなんて、高峰しか書けないなあ

マリヴォー『愛と偶然の戯れ』読む。初めて会う許婚者を密かに観察すべく、それぞれ召使いに扮した男女。召使いに扮した上流階級の人間も、その身代わりになった下男下女も、恋に落ちてしまう、喜劇。登場人物の喜怒哀楽が激しく、口が悪くテンポが良く楽しい。18世紀の作品なので、身分差が上手く機能

j・g・フレーザー『火の起源の神話』読む。世界の火の発生に関する物語が収められている。神様や動物からもらったり盗んだりする話もあるが、摩擦で火を起こす、雷が木に落ちて火事になり、そこで火を発見した。と、バラエティ豊か。火は、人類にとって必要だから、話が多いのか。俺はプロメテウス好き

白洲正子『花にもの思う春』再読。俺は和歌に明るくない。だけど、彼女の文章は、品と芯があり、心地良く読みやすい。

紀貫之の句

桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける

現実にはあるはずもない大空の波立ちを、現に白く波立っているように詠んでいるからこそ美しいのです

ガンアクションをテーマにしたtrpgガンドッグ・リプレイ ストレイ・ドッグ』昔の国産だけど、アメリカのアクション映画みたいな雰囲気でワクワク。カーチェイス、銃撃戦、爆発する船から脱出! 主人公が元軍人バツ一ちょいヘタレ33才。珍しいし、好み!

辻惟雄『奇想の図譜』再読。彼の本は全部面白い。それは、奇妙なものに素直に感動し、解説もしてくれるから。若冲白隠北斎……といった有名所から、日本人の意匠に関する「あそび」「かざり」について語る楽しい一冊

歌物語『オーカッサンとニコレット』読む。韻文と散文が交差する、作者不明13世紀フランスの作品。王子と女奴隷の可憐な恋。旧字体と古めかしい訳だが、シンプルな筋だからわりと読みやすい。品がある。天国を拒否して恋人となら地獄でも、と言うのは、中世では大胆。若さと愛のロマンチックな作品。

sweet poolクリアした。世界観も、キャラも好み!基本皆病んでる中、某キャラのたくましさにぐっときた。ただ、ストーリーがかなり短い!あれ?もう終わり?あの設定は?
とか、もうちょい絡みが見たかったとか……
選択肢もあってないような感じ。
良作なだけに、そこだけは残念

ジャン・コクトー『おかしな家族』読む。文とデッサンの童話。俺はコクトーの小説も詩も映画も好きだけど、絵はイマイチ……と思っている。中身は、太陽と月は結婚して子供を作るが育児放棄。犬の先生は駄犬で解雇、星を教育係にして、はいよし!

って、こんな童話やだ!笑 皮肉はきいてるけどさ

マルコ・フェレーリ監督『ひきしお』パンフ読む。島で暮らす男と犬。そこに流れ着いた女。女は嫉妬から犬を殺し、女自身が犬になる。原始的な楽園生活。だけど、二人の楽園にも終わりが来る。二人とも所詮現代人なのだ。ドヌーヴや海の美しさと、甘い倦怠。楽園なんてないのだという切なさが残る

夜になったから、やっと外に出られる。今日届いたserphの別名義と tomgggの曲聴きながら暗闇歩くとめっちや楽しい。serphの別名義は電子フォークロアダンスフロア、って感じで、まじ上がる!tomgggは安定のお菓子の世界で癒される。夜と音楽は相性最高。でも、昼間も歩きながら聞きたいな

朝から廃墟のことを考えてた。人は何で廃墟に惹かれるのだろうか? 不在の光景の中に、生活感を見つけるから? 甘いディストピアへの憧れ? 

それはそうと、魔神転生2のジャケ、狂う位好き。ゲームや音楽も大好きだが、瓦礫と廃墟の中、逆光に照らされる悪魔使いなんて最高すぎる

ロウ・イエ監督『二重生活』見る。一人っ子政策があった頃の中国の話。不倫、暴力、殺人。泥沼。ただ、屑色男も子供には優しかったり、女性達もいじらしくも残酷だったり、複雑な心理を上手く描いてる。不鮮明で薄暗い画面や寄りも生々しくて良い。でも、ミヒャエル・ハネケみたく疲れる笑(褒め言葉)

ポーの短編集と廃墟写真家サイモン・マースデンの『ポーの黒夢城』読む。やっぱりポーの短編は面白いなー。廃墟写真も、雰囲気合っていて良い。ポーの怪奇小説の魅力は、危険と魅惑とを詩的表現で、破滅へと誘ってくれる所にあると思う。
禁じられた小旅行へいざ。

アポリネール詩集再読。口説き文句と皮肉。何より軽やかで、子供のような愛や鋭敏な哀愁を感じさせる。
若くして凶弾に倒れた彼は、何を思いこの詩を書いたのだろう

わびしい監視兵

ところで 僕の心臓よ
なんでそんなにときめくか
塹壕の中のわびしい監視兵
夜と死を見つめ続けるためですわ

 

バタイユ『空の青み』再読。猥雑と死が骨子。性に禁止もタブーもないのだという考え(現代人)の俺には、サド的な性描写の退屈さ(おぞましさなんて、あるのだろうか?)を感じるが、女性への淫売聖女オブセッションはその病が深いと言う点で興味深い。猥雑を求め浴びなければ生きられないなんて!

金子光晴『どくろ杯』再読。三十代の放蕩を七十代の自身で綴る。同じ所にとどまれず、無軌道なその日暮らし。結婚して子をもうけるが、その子を置いて、妻と金も保障もない中国への旅へ。遊人であっても、冷静な描写、自らをも刺す冷酷な眼差し。しぶとさと、豊かな詩情。名作。

 

 何もない日は、本を一、二冊読めているような気がする。幾ら本が好きとはいえ、やっぱ何か新しいことをしなきゃ駄目になる。書きかけの小説で手をつけてないものがあり、ずっと気になっているのだが、色々感じて、刺激を受けてから続きを書きたいんだ。でも、今は難しい。

 色んな人の悲しみや不安や無念、或いは罵声や怒りが流れて行っている。それ自体を否定することはできないけれど、俺は何がしたいって、きっと、好きな物を見て、触れて、感じて、表現したいんだ。そういうシンプルな感情。素直な感情に目を向けると、少しだけ心が落ち着く。

 元々過敏なのが、今回のことで悪化したり、意外としぶとい自分にきづいたり。今回のこととは別に、定期的に、あ、もう駄目なんじゃないか、という思いがよぎる。でも、悲しみも喜びもひきずるくせに長くは続かない、難儀な性格なのだ俺。

 自分ができることもしたいことも好きなことも、学生の頃から変わってなくて、俺の話を喜んで聞いてくれる人なんて、大学教授位しかいなかった。百年前、数十年前の詩と小説が一番好き。今の時代に、必要とされていないとしても。好きになってしまったから仕方がないのだ。

取り出せない硝子や水晶や屑宝石

誕生日を迎えた。いつもなら、少しだけお洒落をして、普段かいたくても買えない、とはいってもたかだか数千円の本とかを買うのが習慣になっていた。でも、今だと難しいかもしれない。店自体が閉まっているし。

 というより、もう俺はいい歳で、色々と摩耗してしまったというか、単純な話で、騙し騙しやっていくのも終わりにしたいなあという思いが頭をよぎる。希死念慮離人症が手をとってワルツ。

 でも、俺の人生を豊かにするのは俺しかできないことなのだ。当たり前の話。幾ら、これから先が終わりのない沼の中であっても。

 雑記。

夜になって、調子が戻ってきて、森本美由紀の画集二冊読む。高校の頃に買ってから、今でも大切な本。ピチカートやバルドーのDVDのジャケもこの人
過剰な装飾が好きな俺だけど、彼女のイラストで引き算の美学を知った

本屋で沢山本が並んだ中で、すっきりと目立つのが良い、


というような発言は、今も胸にある。

色々あると、ストレスマックスになる。そんな時は、獣になりきって思い切り唸り声をあげるのがよい。当然、すさまじい音がでるので、タオルを噛んでさらに布団で顔を覆う(それでも音出る注意)。頭を揺らしながら吠えると気持ちいい。
俺がヤバいのではなく、たしか
演劇の練習の本に書いてあったのだ

夜になったから、やっと外に出られる。日光浴びたいけど、仕方ない。

注文してた『世界の美しいハチドリ』が届いていた。読んだことあるのに、手に取って色とりどりのハチドリを見ると、心が解ける。
毎日、綺麗なものを見て、考えること。時には難しくても、それが豊かってことだと思う

ピエール・ルイス『ビリチスの歌』再読。ギリシャの詩人を想定した、艶めく愛と死。鈴木信太郎の名訳

キプリスの小鳥、鶺鴒よ、萌え出る妾たちの欲望に、合わせて歌を唄っておくれ、乙女の肉体は瑞々しく、地面のやうに花に覆われる。妾たちのあらゆる夢に 夜は近づき みなひそやかにそれを語らふ

 読書自体は、家にこもっているのだから、色々とできている。昔の本を再読して、色々忘れていたり、覚えている感動に再開したり。

 読書によって自分が数々の輝きを知らないことを、また、それらを見つけることができることを再確認するのだ。誇張ではなく、それが俺を生き延びさせてくれている。

 芸術に生かされている、なんて大層な話というよりも、ぴかぴかきらきらするんだ。錯覚できるんだ。自分の内に、沢山の硝子や水晶や屑宝石があるような、そんな気分になれるんだ。

 正直、いい年して変わらなぬ浮草生活も、社会や人との不和も、もう沢山だ。でも、俺の人生は続くから、豊かにしなければ。本を人を知ってしまったんだから。

 良い一年になりますように、ではなく、しなくっちゃ。元気なふりして片づけるか、満足して死ねますように。

日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです

妙な気分が続いている。不調とやや不調をいったりきたり。でも、たまに元気。これから先のことを考えても仕方がない。ひとつ、良いことを上げるなら、読書がかなりできていることだ。

 俺は色んな物がないけれど、本は家に山ほどあるのだ。再読する本も、昔は分からなかった、感じ取れなかったことに気付けたり。自由に動けなかったり店が閉まったり、この先の生活のことを思うと低級地獄でしかないけれど、誰かの書いた書物は、いつでも輝かしいのだ。

雑記。

ふと魔が差して、アニメ版の、小説『ロミオの青い空』を読んで、分かっているのに例のシーンで号泣。アニメ版は小さい頃見たっきり、みたいけど見たくない。

グールドを聴きながら、ノヴァーリスの『夜の讃歌』読み返す。信仰の輝き、真夜中を神秘を礼讃する美しい詩句。長くなるので、可愛らしい部分の引用。

星の世界は溶けて
黄金の生命の酒と化し、
我らはそれを飲み味わい
明星となるでしょう。

気分がのらなくて、なにもできない日。夜になって、人気のない町を少し歩く。

ALI PROJECTの、メゾン ド ボンボニエール(砂糖菓子入れ)を小声で口ずさむと、気分はお菓子の国へ。夜って、歌って素敵だな。一瞬で別の世界に連れてってくれる

千の甘い仕合わせを
仕舞うための
わたしボンボニエール

イリーナの帽子、中国現代文学選集
を読む。箱の中に薄い六冊の冊子が入っていて、六人の作家のアンソロジー。収められている小説は、さらりと読めるのから、文化大革命や犬食の話題が出るものまで幅広い。試みは良いと思うが、値段2000円だと気軽には……って、本自体高くなってるからな

トルクァート・タッソ『愛神の戯れ 牧歌劇 アミンタ』読む。十六世紀のイタリアの詩人の描く牧歌劇。
神話って、その多くが強引で突飛で意味が分からないけれど、魅力的だ。この話も筋はシンプルだが、読み進めると、その詩的な美しさにはっとする。昔の人の方が、自然と神々をより愛していたのかな

ずっと、家からあまり出ない生活してると、身体がうずうずしてくる。虎になってガルガルしたいマジで。虎は毎日虎で羨ましい。俺なんて文字の奴隷だ。文なんて好きじゃないのに。好きじゃないのに明日も文字に触れるんだ腹立つガルガル。ガルしたいマジで。

山月記』の主人公は虎になれたなんて最高やんけ!人の心捨てても良いじゃん!また拾える確率もあるかもだし。人の心も大切だけど、人食い虎も大切。
てか、そこで友人が虎殺して、毛皮をはいで、それをまといながら暮らしたら胸キュンblじゃないかな。

エルヴェ・ギベール『召使と私』再読。ユーモラスで身勝手な愛。奇妙なsm小説。召使の台詞が面白い

召使いは日本人にしますね。だって日本人は我々よりも卑屈な性格をしていますから(略)ありとあらゆる仕方で虐待して愉しんでやるんです。日本人てのはマゾヒストなんですよ。生まれつきそうなんです

ヴァチカン美術館のカタログ読む。
楽奏天使 は、とてもロマンチックですき

黒像式オルペ なる陶器は、獅子からスフィンクスまで描かれていて欲しい。

どの神話上の人物か、判別出来ないほど、破損が大きいトルソー。その欠損が魅惑的

真の十字架の聖遺物筺用ケース、って名前ヤバい。欲しい

ほぼ毎日、朝から晩まで、気分と体調はぐらぐら。だけど、夜中は安定していることが多い。理由は分からないけど、夜は落ちつく。

ロバート・メープルソープの写真集ぱらぱらとめくる。彼の写真は好きなのが多いけど、このパティ・スミスの写真(ファーストアルバムの)良すぎる!恋人だから、撮れたのかも、なんて。

箱の中の干菓子は梅雨の気配

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少しのお菓子で、気分が華やぐ。きれいなもの、かわいいものはいつでも俺に優しい。

トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』のパンフ読む。山田宏一も寄稿。俺は彼の映画への愛情と敬意のある文が大好きだ。きっと、トリュフォーもそう。
「映画を撮ることは、私にとって、少年時代の数々の夢を実現することです」と語る彼。小学校もきちんと出ていない不良少年の夢を、俺も見てるんだ

ジュネ原作ファスビンダー監督『ケレル』の小冊子を読む。様々な人が寄稿しているが、響かない物ばかり。サルトルバタイユの文だってそうだ。俺は、ジュネを偏愛しているから、何もかもが気に入らないのだ。ジュネについて、犯罪者として男色家として語らないなら、何を語ればいいのだろう。

 俺はジュネについて書かれるほとんどの批評が気に入らないんだ。それは、詩を無理に解剖するような無粋を感じる。彼は男と犯罪と裏切りが好き。その上、夢のように、詩的言語で描くんだ。それで十分だ。迷って酔って賛美の声を上げるだけで十分だ。

 泉鏡花『外科室・海城発電』読む。外科室という短編の、手術の様子が凄まじ(一目ぼれした医者と患者。麻酔なし手術!という狂気)

唯見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔は旧の如く、いと蒼白くなりけるが、果せるかな自若として、足の指をも動かさざりき

殺しの凄まじさは、マルグリット・ユルスナール『東方奇譚』の描写を想起する。才ある老画家を憎む王の台詞

「死刑囚の血は汝の画布に描かれた柘榴ほど紅くないし、農村では虫が稲田を感嘆する妨げとなる。生身の女の躰は、肉屋の鉤につるされた屍肉のように、余に嫌悪をもよおさせる」

また、献身的な弟子が処刑されるのを眺める老画家。絶望しながらも、血の染みは美しい!

「兵士の一人が刀を振り上げ、玲(弟子)の首が切られた花のように胴を離れた。下役人どもが屍を運び去った後で、汪佛(絵師)は絶望しながらも、弟子の血が緑の石畳につけた美しい真紅のしみを感嘆して眺めた」

ボルヘスの『砂の本』再読。訳者あとがきにもあるが、エッセーや短編小説がわかちがたく、それがまた、魅力的である。彼の主要なテーマ。夢と夢のような話と本の話。表題作は、砂の本という、終わりがない、無限の本を手に入れてしまった男の苦しみ。ふと、バベルの図書館を想起する

 本は、他にも読んでいて、自分が読書家と錯覚しそうだ。だが、様々な美しい言葉を、文章を目にすると、そろそろ俺も何か書きたくなってくる。少し前に一作書き終えて、それっきり。

 暇つぶしのファンタジー小説はかいているが、それは思い付きを並べているだけで、小説とは言えないだろう。でも、気楽に書けて楽しい。書くのって楽しいな。ただ、俺が本当に書きたい、書いているのは、時代遅れの純文学、読みにくいなにか(自分ではそうは思っていないけれど)、なのだけれども。

 ほんと、どうでもいいのだが、数年ぶり!に漫画のキャラを書いた。一回も書いたことないし、ボールペン一発書き。出来上がって、ちょっとして、ああ、微妙だな、下手だなあ……って分かる。なのにさ、楽しかったんだ、すけべ過ぎるマタギ

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 高校の頃は、漫画家になりたかった。すぐにその夢は忘れたけど。でも、好きな画を描くのって楽しいな。俺はすぐ上手い下手にこだわるけれど、楽しいな。無心ですけべなマタギを書いてた笑

 球体関節人形教室や甲秀樹の絵画教室に通いたいな、ってたまに頭によぎる。でも、金銭的に絶対に無理なんだ。今、生きるので精いっぱい。それを考えると情けなくなる。

 ずっと読まれない、読みにくい、人が苦しむ小説を書き続けている俺。苦行かな? でも、それが割と好きなんだ。でも、他にも楽しみを。どんな状況でも、楽しみを探して。