たまゆら、くちづけ、ゆびきり。果たされない果たされない。

だいたい寝てるんだ。薬を飲んで10時間から14時間くらい寝て、後はふらつく生活。それか、どうにかして身体を動かして、ふわふわおろおろくらくらびくびくする生活。

 金のことばかり考えてしまう。つまり、いつまで自分がイカレないのかとか、頑張れるのかとか。お金のことばかり考えるのは浅ましいけれど、お金とかの心配をせずに生きられる(それぞれの心配ごとがあるので誰かを非難する目的ではない)なんて、俺とは別の人種だ、と思うのだが、案外俺と皆別の人種。どうせなら俺、悪魔とか獣人とか、天使とか精霊とか妖精が良かった、なのに実際の俺は病魔に蝕まれ、夢魔とたまに出会って、地獄界の夢に怯える中年、人間、一般市民。

 彼は、どうだったんだろう。怖くって知りたくって、面倒で、岩波文庫の日記読んでなかったよ、ゴッホ君。

 彼にはテオがいて本当に良かった。テオがいなかったら、ゴッホの作品は世に出なかったどころか、作られなかったかもしれない、って知らないけれども。とにかくさ、理解者って、本当に素敵な存在だってことだ。友人でも恋人でも家族でもそのほかの名前でも生々しい物でも何でもいい。関係性が繋がっているのならば、素敵なことだ。

 

 上野の森美術館ゴッホ展 行って来た。ゴッホは実物見たことあるし、多分美術にそこそこ好き程度でも嫌というほど目にする機会があると思うんだ、でもさ、やっぱりあの本物の厚塗りを見ると、ああ、自然って絵画って、ゴッホの絵って美しいんだって、感動できるんだ。本当に、本気で、家に飾りたいよ。安いカードを何枚か買ったよ。印刷じゃあ良さが分からない、でも、それでも欲しくなっちゃうよね。

 

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 ゴッホの画の中の、自然な部分と不自然な部分が好きだ。ゴッホの画は、全ての出来がいいわけではないと思う。でも、特に後期の画は大好きなのばかりだ。

 今回の展示では、 サン=レミの療養院の庭 という作品が本当にすばらしかった。目の前に自然があるんだ。野獣派と印象派のいいとこどりってかじだよね。荒々しくて繊細。雪舟に鬼が憑りついたみたいにセンスがよい。ポストカードを買ったけど、良さなんて半分も伝わらないのにさ、その半分だけでもすばらしい。ゴッホは金がないから、どうでもいい(無料)モデルとか花とか描いていて、それがとてもいいんだ。美しい物を見ると、生きるのって悪くないって思えるよね。

 

そして、もし、その人に理解者がいたとしたら。愛人が支援者が共犯者がいたとしたら。

 

A アルトー『神の裁きと訣別するため』

121 彼は線や形ではなく、大変動のまっただなかにあるような不活性の自然の諸事情を描いていた。

 というアルトーゴッホの理解が、俺には適切に思えて、辛くて悲しくなる。彼らは狂ってないからこそ通じ合えるんだって、そう思うと、胸が苦しくなるよ。

 美しいって、目の前の誰かに言いたい。それは難しいこと? 下らないこと? スマホで誰かと会ってセックスをして気持ちいい/気持ちいいふりをするのは難しいこと? 下らないこと? 

 どうか、狂ってなんてないから、狂人だと思ってしまった人は自殺をしないで。それを止めるには簡単なものが必要で、そんなのも手に入らなくて、ぼんやりした頭で思う、たまゆら、くちづけ、ゆびきり。果たされない果たされない。いや、そうでもなかったっけ。すけべなこと、下品なこと、ロマンチックなこと、色々してきたっけなんて。

 俺はいじめられっ子で、たまに、自分が、相手が何を求めているのか察知し、極めて自然、であるかのように振舞ったり警戒したりしながら相手をもてなし、つまり、精一杯相手に愛されようとするのに気づき、それをものすごく気恥ずかしいと思う。それと同時に、関係が長く続くという想像力にかけているからこそ、刹那的な快楽や献身に溺れようとする。人生は楽しい方がいい。「他人」にはできたら優しいほうがいい。どうせ長く続かないのだ。

 でも、被害者ぶってしまったら駄目だ。愛しなさい、忘れなさい、傷を恐れるのをやめなさい。その三つを思うと、俺は少し身を律することができる。

 パンクだから、という理由でマザー テレサのことが大好きだ。彼女の言葉を何度も思い出す

マザー・テレサの言葉。 彼女は「貧しい人が、傷ついた人が求めているのは哀れみではなく愛なのです」と説いた。そして無関心ではなく、愛情をかけてあげることを説き、 「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」 「善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなくし善を行い続けなさい」 「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。」と言う。

 実行するのはとても、つらいことだ。それに、俺は神様が好きなのに、神の愛を信じてない。だけどさ、錯覚できる。誰かといる時、芸術といる時。錯覚で、夢魔で出来ている人生、それは悪くない、悪くないって言ってくれ。口づけができないなら、小説を書くしかない。小説も書けないなら、誰かと何か。どちらも無理になら、白い錠剤を適量飲んで、おやすみ、またね。

頭に住む虫

色々と駄目になったので、仕事を辞める話をした。でも、まだ仕事にはいかねばならない当たり前の話。

 疲れて、頭が回らない。何もしたくないのに、一人で家にいるのが辛くてたまらなくって、リュックいっぱいのcdを売ったら900円になって、普段しないスクラッチで8000円以上スった。馬鹿だ。

 『愛の嵐』を見る。ずっと見たかったけど見なかった映画で、誰もが褒める映画だろうし、良かった。なのにさ、俺は半分以上薬と怠惰で朦朧としていた。でも、素敵な映画だった。でも、映画なんて、数十分もじっとしていられるなんて、どうかしていると思う。

 たまに、大丈夫だって思って、別に死にたいわけではないからどうにか仕事を転々としてきたけど、そろそろ限界なのかなーとか思いながら、まだ頑張りたいなって思うけれど、何もできずに寝続ける。

 家にいると確実に病状が悪化するけれど、外に出る理由とか、友人とかがないのだから、難しいのだ。

 沼の中でずっともがいて、その中でいつか溺れ死んでしまうのだろうか? 分からない。明日、仕事行かなくっちゃ、お金稼いで、生きなくっちゃと思うけれど、思考がショートしているのかバグってるのか。ゲームのそれは好きなんだ。好きなんだ、バグ。

それが物語の中ならば、人の人生ならば。

ハレムの為の睡眠薬

もう、辞めなきゃな寝てなきゃなって思うんだ。でも、そうしたら立ち直れないかもしれないとも思うんだ。でも、この先どうなるかなんてわからないし、それが面白いと思える余裕なんてない。

 雨の休日は一日中寝ていた。幾らでも寝られていて、せっかくの休日を無駄にしてしまったことが悲しいし虚しいし、ほんの少しだけ無駄遣いをして、もっと気持ちがすさむ。浮き上がる何か、なんてなくても自力でなんとするしかない人生。

 翌日も疲れや倦怠の虜、だけどどうにかして上野へ、東京国立博物館で 特別展 人、神、自然 を見る。とってもよかった! の前に、常設展をまず見た。そういえば博物館ってあまり行ってないなーってことで、様々な時代の工芸品を見るのが楽しい。写真撮っていいのばかりなので、撮りまくってしまった。

 翡翠の香炉がとても良かったー。王宮の贅沢品って感じで、石の魅力も意匠の迫力もあり素敵だ。

 柘榴の置物もあったのだが、熟した柘榴の皮が裂け、中から見える果実がルビーなどを象嵌しているという記述だけでも素敵さが伝わると思う。欲しい。

 青磁輪花鉢 という、ひびが入った青磁の空色がとても美しかった。ひびが全体に入っている意匠なのに、高貴な印象を受けた。

 他にもいろいろあったが、常設展で一番好きだったのが、如来い像

頭がない点がまず良い、というか俺の好み。仏像で、こういうしなやかな身体が割と珍しいような気がするのだが、石像としての迫力もあるのがいいなあ。

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 今回見てきて、石像の持つ、石の温かさのようなものを感じた。それが仏像だから、かもしれないけれど、石とか樹を彫った物の持つぬくもりってあると思うんだ。

 それで、特別展なんだけど、良かった!(でも全部撮影禁止)けどさ、点数が少なくてすぐに見終わってしまったのがとても残念だ。今回のチラシがとても派手で魅力的なのだが、派手。色使いもそうだし、派手だから見ていて楽しい。

 小さい物から大きいものまで、素朴な表現から細密なものまで、色んな人や動物。様々な色と形における、各地での信仰や死の超克といったものが感じられた。

 カタログ欲しかったけどさ、載ってる点数が少ないから買うの止めた。この倍は欲しかったよ……でも、いい展示でした。

 てかさ、家の中も俺の現状みたくぐちゃぐちゃで、読んでない素敵な本があり過ぎるんだ、消化できてないんだ。眠りたいんだ。逃げ出したいんだ。頭が、うまく動かないんだ。

 再読する、マルグリット・ユルスナール 散文詩風短編集 『火』より 

この本が決して読まれぬことを望む。
 
私たちの間には、愛よりももっとよいもの、共犯性がある。

アルコールは酔いをさまさせる。幾口かコニャックを飲むと、私はもうあなたのことを考えない。

人は人生の全ての出来事に処女としてぶつかる。苦悩に対してどういう風にふるまってよいか分からないのが恐ろしい。

 

 好きな人の文書を読むと、少し、気が楽になる。俺が好きな人、文章に向き合うのに体力いるけどさ、でも、好きなんだ、仕方がないんだ。

 最近また、セボンスターを買ってしまって困る。セボンスターきらきらしていて好きだ。でも、俺、30台やで……てか、単純に置き場所に困り過ぎている。きらきらしたの大好き。ドルガバやドレスキャンプワコマリアとちがって百数十円で買えちゃうよ!(なんだそれ)

 きらきらしたものがたくさんあるのに、自分が少しずつ駄目になるのが、辛い。駄目になるまで、幾つ小説を書き上げられるだろう? 分からないけど、書くしかないってことだ。創作物の中でなら、俺は俺はいつでもきらきらして無様で傲岸でカタルシストラジコメディカタストロフィ沢山。沢山欲しいんだ、人生が豊かであってほしいし、俺自身、そうでいたいんだ。恋人も友人ももしかしたら神も、創作物の中にならいるからさ。

目が覚めてるのに、瑠璃や翡翠の夢を見るんだ俺

 メンタルがお釈迦、いや、オシャカになっているけれど、銭稼ぎのために、仕事場へ。いつもよりもさらに頭が回ってなくて、気分がざわざわするし集中ができないし、今すぐ家に帰りたいけれど帰れない。でもさ、働かなければホームがレスするわけで。怖いんだ。色んなのが出来なくなるのが。

 仕事中はあれやこれややらなきゃな、やりたいなって思うのに、帰宅したらひたすら甘いものを食べ続け、横になる。その繰り返し。それをどうにかして止めようかと、というか色々辞めようとしながらも踏ん張っている

 先日甲秀樹の展示を見に行って、彼の画塾に参加するのもいいな、四谷シモン吉田良球体関節人形制作の教室に通うのもいいな、なんて思うけどさ、それができるのはきちんと働いている人だけなんだよね。画材やら材料費やら月謝が高いと思う三十代なんて、なんて情けないんだろう。でもそれが俺。

 いつ、駄目になるのかなと思いながら、つまり、いつもお金が減るのが、眠り続けてしまうのが怖いんだ。でもさ、使わなきゃって、思ってるんだ。できること、今のうちにしなきゃな、見られる物を目に映して、感じて生きていかなければって。

 あたらしくツイッターのアカウントを作って、主にエロイゲイの絵師をフォローしているんだけど、彼らが毎日のようにエッチなことや萌えについて呟いていて、カルチャーショックというか、少し感動してしまった。好きな事ばかりの世界ってなんて素敵なんだろう。美術、芸術について語り続ける人は絶対数が少ないし、ガッツリその文章に向き合わねばならない気がする(ツイッターにおいても。単に気の利いたことを言う人は山ほどいると思うけど)。同じエロ閲覧アカウントで、 ゲーテヴィトゲンシュタインやメルロポンティやサルトルやらのbotをフォローしていたが、何だかそれを見続けていると疲れてくる。でも、それは多分本人ではないからだろう。って、本人の著作も向き合うのは中々覚悟がいることだけれど。

 

 でも、やっぱ、すきなことについて話していたいな。話し相手がいなくても、それを続けなくっちゃ、俺はおかしくなっちゃうよ、小銭を恵んでもらって、お菓子を買って、寝ているだけの人間なんて、厭だ。

 生き延びるために、好きだって言い続けなきゃってことだ。好きだって、嘘でもほんとでも健康にいいからさ、好きだって言わなきゃ。たまに、誰かと情交。ほんとはさ、友達が欲しいけれど、多分それは天使を作る位難しい。でも、人造天使を作る男の話があったとしたら、読んでみたいな。どうせ失敗するんだろうな。ベタベタな趣味だけど、俺は天使が大好き。でも、街にあふれる天使たちはあまり好きではないのが多い、面倒な性格の俺。

 目が覚めてるのに、瑠璃や翡翠の夢を見るんだ俺。きらきらした鉱石やけだものが俺の庭の中で散歩してるんだ。好きな物ばかり瞳に映しているんだって思うと、仕事場も新宿もベッドの上も小旅行の入り口に。

 俺、詩が書きたいなって、なんとなく考えていて、大して理解もしていないくせに、ボードレールランボーマラルメヴァレリーは好きで、ヴェルレーヌゲーテタゴールも中々好き、だけど詩の作り方というか作法とかはさっぱり分からないし、現代詩は全く良さが分からない(単に知らない)。

 何年も、詩を書きたいなって思いながら書いてない。思いつくのは断片だけ。そしてその断片は肉付けされて不格好な小説になることがしばしば。

 教室に通って誰かの、骨や肉を作ってみたい。人造天使を、生意気な殺し屋候補を作りたい。けどさ、お金ないんだ。だからさ、詩を書くしかないのかな。たまに、誰か好きなのか好きじゃないのか分からない人と口づけたりするしかないのかな。哀しいけれど、ありあわせの処方箋、処世術。

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半勃起の殺し屋。未熟な、成長途中の獣たち。或いはイノセントの中の迷い児

メンタルがやばくて、仕事を続けられるかどうか、という状況で仕事場へ。どうにか、こなしたが、これから先のことを考えると暗澹とした気分になる。いつまで「大丈夫」だと、俺は「普通」なんだと言い聞かせなければならないんだ?

 そんな折、ふと、ネットで、生きるというのは楽しく生きることで、楽しく生きるっていうのは好きなことをするんだよ、みたいなメッセージに出会った。俺みたいな状況の人間は、それができれば苦労しねーよとかねえ、好きってなんだっけ? お金も気力もないからむりですわ、なんてすぐ思いがちなのだが、しなきゃな、好きなこと。辛いことから、すぐ逃げようとするもん。駄目になる前に、楽しい思い出、多い方が良い。

 朝から小さい音量でグールドのバッハをかけて、少し前に書いた小説の誤字脱字チェックをしてた。傲慢で繊細で賢しくて不安定で泣き虫でしたたかな青年の話。そんな話ばかり書いている。

 世界に、悪意が、蛮勇が見て取れないのが本当に悲しい。有名になりたいお金持ちになりたいモテたい称賛されたい認められたい、それは結構な話で、それを否定したいのではないのだが、

「本気」で、天使になりたいとか、純粋な存在になりたいとか、神の存在を証明したいとか、粛清したいとか考えている人がいない(いても俺とは出会うことがない)というのが本当に悲しく、虚しい。

 でも、そんな極端な(思考というよりむしろ)思想の人でなくても、真面目に生きている人は、好きなものがある人は、それだけで素敵だと思う。その位の人並みの心を自分が持っていることに安心する。でもさ、but not for meの歌詞が頭に浮かんじゃう駄目な俺。

 毎日人外の、外部のことばかり考えて、でも、そんなことしてたら本当に実生活が成り立たなくなる。怖いな。それに俺、小説書いてるからさ、色んな人の意志や意見や生きざまをさ、理解しなきゃ、責任を持たなきゃって思うんだよね。常識良識マジ大切。色んな人がいて、俺がいるんだよって当たり前の話。

出来はともかく、自分の書いている小説が、小説の中では一番位好きだ。これはうぬぼれというか、そうじゃないと小説なんて何年も書いていられないだろう。

 まれに、それを本にしようか、なんて思うことがあるが、装丁とかサバト館レベル、とまではいかなくてもそれなりにいいものにしたいし、ていうか、その前段階で、宣伝しまくっても(あ、宣伝する友達いねーよ)1、2冊くらいしか売れないと思う。マジな話で!!!! 自己満足の為に払うムダ金の余裕なんてない、けどさ、もし、死ぬと考えたらさ、自分の本作るのもありだよね。「本」好きなんだ俺。本作るの、楽しそうじゃない?

 

 珍しく昼過ぎにやることを片付け、六本木で甲秀樹の展示を見に行った。なまめかしい、少年や青年たちが額の中やケースの中に収まっている。好きなんだ、美少年やなんだか居心地が悪そうな青年達。

 俺が下絵をじっと見ていたら、在廊していた先生に声をかけていただいた。色々話をした。自分が入れてるから、タトゥーの話しをした。作品には刺青が入っている若者が多い。俺は刺青がとても好きだ。本当は全身入れたいんですよ。お金がなくて無理だけど、と先生に言った。先生は少し驚いたような「何言ってんだこいつ」みたいな感じで、少し困らせてしまったかもしれない。

 技法やら作品のことやら話していたら、先生がはにかみながら、作品を買って下さい、と言ったが俺に買えるわけがないので、自分の部屋の壁に、本を破った四谷シモングリューネヴァルトや先生の絵を貼ってますと言ってお茶を濁す

そしたら「ホンモノは違うでしょ」と言われ、まあ、その通りすぎるのだが、俺は苦し紛れに「このまえ雪舟を見たのですが、水墨画は生で見るのと印刷とは全く違う、違い過ぎて生で見られてよかったです」と微妙な返事をしてしまった。

 会場のうん十万の作品は買えないけれど、ポストカードを買う。先生は丁寧にも、買ったものにサインを入れてくれた。特にお気に入りなのが、両肩に鯉の刺青をした青年。超かっこいい! 彼はこれから龍になるのだろうか? てかさ、こういう危うさが、野心がほんと好き。

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 俺が少年少女(青年)をすきなのは、未熟で傲慢で輝かしいからかもしれない。あ、勿論おじさんおばさん壮年老人だって好きだ。でも、若さ、と言う年齢に関係ない、無謀さを蛮勇をかっこつけを持っていないと、駄目なんだ。若者はさ、いやおうなく、持たされてるんだそれら。

 甲秀樹の作品は、半勃起の殺し屋って感じで、とてもかっこよかった。未熟な、成長途中の獣たち。或いはイノセントの中の迷い児 

 俺もさ、タトゥーまた入れたくなったな。薬飲んで、働けるかな、仕事新しいの探さなきゃなって段階なのにさ。

 美しい、鯉の若者にはなれないけれど、墓標に捧ぐ花々を、俺の身体にも。身体中、俺、花々になりたいよ。

 現実の様々なことにチューニングが合わせられない。なのにさ、俺は現実で生活をしていて、非現実の王国の夢を見る。貧乏な王様気取り。願わくば、薬物以外の救いがあったなら。少しの、友好や心愛や肉欲を啜り、生き延びられますように、本、書けますように。

リュックもロックも雑踏も俺に優しい

体調が悪くって、頭がぼんやりして、ぐらぐらする。そんな状態で仕事をしていたら、かなりミスを連発してしまった。しかも何日も。色々と、あっ、駄目だこりゃ、と思ったし、申し訳ないので、上司に自分の状況を説明することにした。

 自分のことを話すのはとても嫌だ。病気だからって、失敗が許されるわけではない。それに、休んでしまったら、お金が入らないわけで、緩やかに死亡コースへ。というか、これから先働けずお金が入らないのが恐怖でしかない。かといって、今の職場でミスをしてまで働くのは(打ち込み系なので、小さなミスが大きな問題になることがしばしば)難しい。

 最近は、少し無理にしてでも、外に出たり、展示見たりしていて、小説を書く準備を整えようとしてたのにな。どうにか人生立て直そうとしてたのにな。お金の当てがなく、薬飲んで一人で家にいると、ひたすら寝てしまう。ここ数日は、気が緩むと寝ていて、一日10~14時間くらい寝ていた。

 寝て、少ない貯金がすり減って、この先働けるかも分からないのはとても怖くって、でも、それを何度か乗り越えてきたんだ。でもさ、そろそろ、無理かもしれないっていう気持ちが強くなってきてるんだ。

 新宿に二店あるブックオフが一店舗つぶれてしまうからセールをしていて、山のように買ってしまった。マジで激安なんだ。安いのは数十円から! やはり、最終日近くでかなりなくなってた中から、買いあさる。

夢アド くるり bish アップアップガールズ チームしゃちほこ ゴメスザヒットマン 桃井はるこ A応P ミソッカス きゃりーぱみゅぱみゅ 後知らないビジュアル系……

 本も沢山かって、岩合光昭の動物の本 アイシングのお菓子の本 オスマントルコ帝国の展示の目録 花とテーブルセッティング 春野菜の本 薔薇の品種の本 長崎の山特集の雑誌 甲斐みのりのパンの本 宝石箱って喫茶店開業のコミックエッセイ パンのコミックエッセイ  世界の花畑の本 浅草の写真集 あんまり興味ない漫画やコミックエッセイ

 無限のリヴァイアスや昔の映画dvd

 これだけ買って三千円?くらい 安い! そして買い過ぎた!

  で、家に帰ってゲオから届いたcdをitunsに入れる ピロウズアリプロ、でんぱ、アイマスジャレコのサントラ

 そしてこれから図書館に行って本を12冊返して、12冊借りなくっちゃ。行きたい所なんてなくて、でも家にいたくないから、また、ブックオフのセールに行かなくっちゃ。

 消化しきれていないし、血肉になっていないのはわかるけれど、やらずにはいられないんだ。家の中はいつだって本が山積み。

 働けなくなるのが怖いというか、頭がおかしくなるとか、ひたすら寝続けてしまうのが怖い。それに抗っているつもりだけれど、どうなるかなんて誰も分からない。ずっと怖い。

 俺は最近、mtgというアメリカ産の長く続いているカードゲームの解説動画を見ていて、その中でとても丁寧な編集とストーリー解説(アメリカ産のゲームなので、熱心な人以外は断片的なストーリーしか分からないのだ)をしているのを楽しみに見ていた。

 youtubeのコメント欄にも、毎回丁寧な返事をしている人で、そのやりとり(俺以外の人とのコメントの)も楽しい。

 

 こういう交流手段を持つって、素敵なことだなあと思うんだ。で、俺が一番好きなのは、今、ぱっと思いつくのがジュネとか、ユルスナールとか、ミニマルアートとか、中平卓馬とか、ジャン・ユスターシュとか、初期のアラン・レネとか、なんでもいい、とにかく、もう、交流は絶望的だってことで、暗澹とした気持ちになる。

 昔の表現者について、詩人についてポエジーについて本気で焦がれている人ってどこにいるんだろう?

 好きだって、言えないのはとても虚しいことだ。

 明日から仕事で、どうなるのかは分からない。きちんと薬を飲めば気分は一応安定するが、副作用で頭がぼんやりしたりして、ミスに繋がるのが怖い、 休めば、なんて医者に言われても、お金を稼がなきゃならないんだ、俺 お金なきゃさ、駄目なんだ。

 怖くても辛くても誰も助けてくれないんだからさ、新宿に行って無駄遣いしてこなくっちゃ。大きなリュック背負って、行かなくっちゃ行かなくっちゃ。

街角は猛獣の住家

呪いのような感情の帳が降りて、俺はめくら大抵いつでもめくら。なのだが、世界の表層は自分、だと思っているので、明るいふりをした方がいい。外へ。

 急に、思い立って動物園に行く。並ぶのも人混みの中で立ち止まるのも大嫌いなので、朝早くから上野動物園へ。とはいえ、前日の疲れが残りまくっていて、電車内で本も読めない。ipodで久しぶりにロマンポルシェ。 の曲を聞く。ロマンポルシェ。は好きなのだが、カバー曲の「ハイスクールララバイ」と「ワルのテーマ」のできがすごくいいんだよね。ロマンポルシェ。は曲も歌詞もボーカルも全部が濃い味なので、歌詞やメロディーはベタなポップスの方が映えるような気がする……というか、ロマンポルシェ。がアイドルの楽曲の編曲をすればいいのができあがるのでは? と思った。

 最近掟ポルシェツイッターを見ていて、ソフトバレエベリーズ工房について熱く語っていたのを目にした。それに加えてアイドル、バンドマンのルックスが大めっちゃ大事! という彼の主張は、今の時代めんどくさい全部差別するな人間がいる中で新鮮で良かった。ポルシェは口が悪いけれど、でもさ、平等じゃないんだ。私が不愉快だからお前ら配慮しろ人間より、自分で作ったり回避したりする人の方が好きだ。何かの代表面して、被害者ぶるひとがとても苦手だ。簡単に誰でも被害者にも加害者にもなるのに。

 ベリーズ工房は昔は良さが分からなくて、「青春バスガイド」「付き合ってるのに片思い」の二曲だけ超好きで、あとは、まあ、みたいな感じだったが、動画でライブを見てたら、すごいグループだったんだなーってことがなんとなく分かってきた。俺はアイドルソングがとても好きだが、アイドルについて興味がないことがしばしば。好きなアイドルの名前も顔も知らない、分からないのが沢山!! 夢アドもおさかなもしゃちほこもbisもネギッコも名前一人も分からない! 

 俺はアイドル好きになれるかな? 俺はゲームや漫画大好きなのに、萌えも分からない。だから、いろんなガチファンの人らがたまにうらやましいなって思うんだ。でも、まあ、動物好きなんだ。ふわふわしていて我儘で、牙やら爪やら嘴やら発達していて、まるで、人間じゃないみたいだろ?

 

 動物園に入ると、入り口付近に列。パンダのために並んでいるらしいが、並ぶのきらいなんだよ俺。パンダは好きだけど、並ぶほどすきではない。で、最初に目にするのは猛禽類。スゲーかっこいい。

 でかい鳥類の羽はとても大きくて迫力があって好きだ。当たり前だが、飛ぶための羽の配置がきれいだ。骨格があり、その上に羽が並んでいるイメージ。ハゲタカが翼を広げ飛びあがる姿はとても迫力があった。重量感のある翼の表現、空を飛べる翼というのはかっこいい。こけおどしの、つくりものの、フェイクの翼も好きだけれど。

 次は虎。というか、俺虎見に来たんだよ。ずっとさ、大硝子の前張り付いてた。虎がうろうろしてるのずっと見てた。たまに場所を変えて、虎見てた。ガラス越しでも虎は優雅だ。欲しいな。虎を待ってじっとしてたら、隣に来たちびっことお父さん。虎はいなくなってたから、すぐに二人はそこから去るんだ。お父さんがちびっ子に「寅さんいないねー男はつらいよ。さあ、行こう」って、オヤジギャグ独り言をつぶやいてたのが面白かった。

 家で小さなころ猫を飼っていたせいか、虎とかライオンとかも大好きで、というか哺乳類とか猛獣とか大体好きで、彼らの動きが犬猫の動作と似ている(同一だ)から、親近感というか、あんなにかわいい犬猫のスケールがでかくなると、ペットのような愛玩感と共に野生の存在感が見られるのが面白い。

 けだもの好きだ。触りたいな、欲しいな、身体の半分位君になりたいと思いながら虎見てた。気が付いたら40分位虎見てた。疲れた。また見たいな。白熊は動かなくて置物みたい。ゴリラは強そう。像は鼻を動かして草を食べていて、動きが面白い。よく見ると、あの重そうな身体を四本の手脚で支えていられるというのが、なんだか奇妙だ。動物の変な身体好きだな。マジさわりたいな。欲しいな

 とか思いながら、動物園の東側をぐるぐると4、5周していた。東エリアに俺の好きな動物が集まってるんだ。ってさ、本当は西エリアに行きたいのに行けなくてぐるぐるしていたんだ。地図を見ても行けないってどういうこと? マジで西側行くの諦めかけた。

 でも、ようやくたどりついた西側は人少ないんだよね。人だかりも人並みも少ないのは、東側に人気なのが集中しているからか。途中、池の蓮の葉の群れが墓場みたいでよかった。蓮の花はとても好きなのだが、枯れてしまった後だって、沢山あると存在感があって良い。廃墟、墓場、お釈迦様。

 帰宅して溜まっていた映画を嫌々見る、若松孝二監督『天使の恍惚』こういう革命とかテーマにしている日本映画マジ意味が分からないというか、俺には彼らの必死さがいくら考えても分からなくって、ヒロイズムに酔っているように思えて仕方がなくて、すごく冷めた目で見てしまうのだ(だったら見るなよ)ダンディズム、かっこつけは自己完結して欲しいんだよね。ハードボイルドってエゴイズムの問題をあいまいにすると、醜悪だと思うんだ

 でもさ、映画面白かった。かなりかっこつけでひとりよがりなのにさ、映像も音も良かった。何で彼らがスーツ? ジャズ? なんてのはかっこいいから、で解決! 泥くさくて地味でかっこ悪いリアルな「かくめい」なんていらないんだ多分。 俺はきっとこういう映画、思想の本質的な良さ、美点を理解できないまま死ぬのだろうが、でも、音や映像の良さは分かるから、それでいいのだと思う。

 ラスト、新宿駅東口付近らしき場所を歩いてるシーン良かった。昔の新宿も。昔の、もう会えない景色のことを考えると、なんでわくわくするのだろう。

 岡本かの子『アムール幻想短編集 美少年』読む。岡本かの子は現実を豊潤にする筆致が魅力的だ。小説としてのまとまりのよさというか出来の良さというか、それより感覚の素晴らしさを感じるもの、と考えれば川端康成が彼女の著作に推薦文を書いたというのも納得できる。

 小町の芍薬の冒頭部分

 

 根はかちかちの石のように朽ち固まっていながら幹からは新枝を出し、食べたいような柔らかい切れ込みのある葉は萌黄色のへりにうす紅をさしていた。

 枝先にいっぱいに蕾をつけている中に、半開きから八分咲きの輪も混じっていた。その花は媚びた唇のような紫がかった赤い色をしていた。一歩誤れば嫉妬の赤黒い血に溶け滴りそうな濃艶なところで危く八重咲きの乱れ咲きに咲き止まっていた。

 牡丹の大株にも見紛う、この芍薬は周囲の平板な自然とは、まるで調子が違っていて、由緒あり気な妖麗な円光を昼の光の中に幻出しつつ浮世離れて咲いていた。

 

 かの子のレンズを通したら、花の美しさが幻の中から鮮明になって浮かび上がるようで、美しい。彼女の描写は絵画を目にした時の感想に似ているような気がする。美しさが神秘さを持つというか、かの子が神秘さを大切にしていて、筆の進むままに表現しているのが魅力的だ。

 ただ、この短編集の中で、一番印象に残っているのが『越年』という短編。

 会社員で良いとこのお嬢さんが、いきなり同僚の男に打たれる。その男は会社を辞めてしまい、仕返しができない。意味が分からなくて、ずっと女はそれを恨みに思っていて、ついに街で見つけた男を打ち返す。でも、理由が分からない仕打ちだったから、打つのも慣れていないし、目的を果たしても心は晴れない。周囲が彼女の復讐を祝っても、むなしいだけ。そんな折、手紙が届く。男から、気になっている人への謝罪とどうしても言えなかった告白の言葉がつづられていた。どうにかしてもう一度話したいと、男のことを意識してしまった女は、冬の街に出ると彼を探すけれど、もう二度と会えない。

 筋だけ見ると、インパクトがあって分かりやすくって、まるで「そこそこよくできた」オムニバス映画の脚本、といった風で、あの我が道を行くかの子の小説? と言われないと分からない感じだが、その異質感で俺の印象に残っているのか、単純な話で俺がこういうメロドラマチックな題材が好きなのか。

 もう二度と会えない人を、誰かを人波に幻想の中に探すことを繰り返してるのかな俺。新宿、もう冬だ。