若くはないんだ、だが、死にそうってわけでもないんだ。

八月も終わりに近づいている。暑すぎる夏なんて少しも好きではないのに終わりを少し惜しむのは、トラブルやら仕事でいっぱいいっぱいで何もせず、体力と精神をすり減らしただけで日々が
溶けていく焦りからか。

 何もできないというか、仕事のきつさで平日週五日全て帰宅後ぼんやりして夕食をとっていた後寝落ちして深夜0-3時ごろ起きるといった有様で、流石に疲れすぎているし、色々と限界だと思った。
 
 何も作れず生みだせず、本すら読めない日々。

 そんな折、久しぶりに人と喫茶店でお茶をした。共通の趣味があるので、久しぶりに映画や音楽やファッションの話ができたなあと思った。

 言葉にしないと好きな感情が失われて行って、それが当たり前になる。日々の仕事やらトラブルに対処すべく眼をふさぎ耐えることに腐心して、好きって言葉を口にすること忘れていた。

 俺はクラシックはバッハ以外分からない(好きなピアニストが演奏したのは別だけれど)けれど、ホルヘ・ボレットというピアニストを教えてもらって、YouTubeで検索したら動画がとても少なくって、見つけたリストは良かったけれど、もっとちゃんと聞きたいと思った。久しぶりにCDを借りて聞いた。

 ホルヘ・ボレット演奏する、シューベルトピアノソナタ。適当に借りたのに、とても良かった。とてもエモーショナルな演奏で聞いていて心が揺さぶられた。

 シューベルトの良さに気付かせてくれたボレットとあの人に感謝。

 ああ、そうそう、ずっと見たいのにレンタルでどこを探してもない(権利の関係らしい)スイートホームの映画版がYouTubeにアップされているってのも教えてもらってみた。

 ファミコンのおどろおどろしい、とにかく不安で怖い世界とはまた少し違った。ホラーではあるが怖がらせるだけではなく日常シーンや感動させるような演出やら、とても丁寧に作られていて面白かった。

 おっさんになると、いや、若い頃からそうだけれど、好きな物を誰かから教わるって結構難しい。そうでもないよ、むずかしくないよ、って環境にいるひとはとても幸福な人だ。

 てか、俺もそう言う人だった期間があったはずだ。知らない物に触れて見ようとする好奇心と忍耐力と勢い。特に飛び込む勢い、覚悟がいちばん大切で一番忘れがちだ。

 幸福を恐れるのは、哀しいこと愚かなこと。それをしっているのに身体に怯えが染みついている。

 でも、なんどでも這い上がらなくっちゃ、死んでいるのと同じだし、俺、楽しいのが好きだったんだそう、今もきっとそうだ。

 ずっと、小説を書けていない。借金返済と精神面の悪化でそれどころではない。何かしようにもお金がかかって、仕事から帰るとヘロヘロ過ぎて気力も体力も枯渇している。

 でも、夢をみなければいきていけない。俺が夢を見る為に必要なものは、誰かが作った作品たち。

 特に好きな宝石や毛皮や天使やヤクザ、悪意や慈悲、お祭りや花々、悪魔や供儀。下らない物役立たずな物、日常生活に不必要な、デコラティブなあれやこれやを夢想して、幸福な目隠しを俺自身に。

 最近、アールヌーヴォーの本を大量に図書館で借りて読み返している。優雅で幸福な世界。縁のない世界。そういう物に惹かれるし、悪魔のような誰か、により惹かれる。

 美しい時代、があったとして、人によってはそれが今も続いているとして、だがしかし悪魔がいた時代があったのかって考えると難しい。少なくとも俺にとっては。

 悪魔のことを考える。たまに、まれに、それに近しい存在がいたはずだと思う。ギラギラした、愚かしくも栄光の輝きについて考える。犯罪者なのか芸術家なのか、それとも誰にも気づかれずにひっそりと浄化されていったのか。

 書きたいものはまだあるんだ。そこに飛び込めるように。

 俺はラストが決められないと書き始められないので、どうしても始めるのに悩んでしまう。でも、見る前に飛べって精神もたまには。

 若くはないんだ、だが、死にそうってわけでもないんだ。

 もう少しだけ無茶しないと人生たのしくないよな。

すばらしきこのせかい、って噓でも言って

 酷い時間を過ごしていた。仕事のストレス、払っていなかったカードの支払い、膨らむ借金と不安怒り焦り。小説を半年以上かけていない。年老いて、持物はなにもなく、むしろ借金だけが増えた。人生でここまで酷い状況はないかもしれない。

 それでも、自殺せずに生きている。

 今日、新すばらしきこのせかいをクリアした。前作は十数年前に出たソフトで渋谷が舞台になっている。社会とのつながりを遮断していた少年が、世界と向き合い「今を全力で楽しむ」話。今回もわりと近いテーマに少年少女が向き合うことになる。

 実家からは歩いて渋谷に行ける距離だったから、学生時代は意味もなく渋谷に行った。高い物は買えなかったけれど雑踏が好きだったし、本やCDならかねがなくてもどうにか買えた。

 前作のDSのソフトは大好きで、サントラも二枚買ったくらいだ。渋谷が舞台で音楽もバラエティに富んでいる。何より、心を閉ざしていた主人公が、人や街を好きになる、「今を全力で楽しめ」というメッセージを受け取り歩んでいく姿が好きだった。

 ニンテンドースイッチはずっと欲しかった。でも、金が無さすぎてというか支払いがあり過ぎてそれどころではなかった。

 ずっと、欲しい物を買っていなかった。お金が減るのが怖かった。数百円の物を買うのにも躊躇した。それなのに、ギャンブルで何万円も金を溶かし続けた。その結果、恐ろしい金額まで借金が膨れ上がった。

 何もかもがうまくいかなくって、唯一好きだった小説も読めないし書けないし、もう、自分の中は空っぽで、ギャンブルに依存して心を埋めたかった。お金儲けがしたいというよりかは、ずっと「演出」を見ていたかった。どうにかなる、と思いたかった。

 そんな俺が、久しぶりに家庭用のゲームを買った。それが、新すばらしきこのせかい。少しの不安と大きな期待を胸にプレイ。操作性は向上して渋谷の街も最新のものになっていて、とても楽しめた。

 二十歳過ぎの頃に大好きだったゲームの続編を、四十代後半で借金に押しつぶされて何もかけない俺でも、楽しめた。

 前作に思い入れが強いので、どうしても前作の方が、なんて思う所も多少はあったが、今作の良さも沢山あった。何より、一年ぶり?位に家庭用ゲームを楽しくクリアできた自分が嬉しかった。

 スマホゲームをやっては消すのを繰り返し、それにも飽きてしまってたから。

 ゲームをクリアして、また、渋谷は平和になって少年少女も大人たちもそれぞれの人生を生きていく。

 俺はまた、取り残された気分。ひとりで、なにもないどころか負債をかかえ、毎日つぶれそうなのを処方箋で誤魔化している。

 それも、いつまでもつのかな。諦めて、終わりにするのかな。楽になりたいな。俺は、自分が書いた小説を好きだけど、社会的には価値が無く、それでもいいと思っていたけれど、ひたすら借金を返し続けて小説もかけないなら、死んだ方がいいかもしれない。

 そういったことが何度も頭の中を通り抜けて消えて、繰り返す。

 それでも、こんな酷い生活でも、多少は本を読めるようになってきていた。

雑記

海野弘『366日絵画でめぐるファッション史』読む。権威を現す肖像画、流行や生活を読み取れる風俗画。絵画における洋服でその時代や意図を読み解く。解説つきで、気軽に色んなファッションを見られるのが楽しい。個人的には日常生活に不便な、過剰な襟やリボンやフリルが楽しくて好き

海野弘『ロシア・バレエとモダンアート華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』読む。通常イメージするバレエとは違い、トウ・シューズをはかない、自由な総合芸術としてのバレエの世界を紹介。芸術家との結びつきや豊富な衣装デザイン等見所だらけの素敵な一冊

コルタサル『秘密の武器』読む。悪夢、幻想、いや、作者の執拗なオブセッション言語化され、日常の景色のはずなのに幻覚の中へと迷い込んでしまう。とても良い短編集だった。チャーリー・パーカーの伝記に着想をえたという作品での「麻薬と貧困は相性が悪い」って主人公の目線、切なくてクールだな。

 久しぶりに知らない海外の小説を読めた。とても楽しかった。俺の知らない素敵な小説が沢山あるって当たり前のことを思い出させてくれた。体力が無いとしょうせつには向き合えない。でも、誰かの言葉を目にしないと、俺も自分の言葉を作り出せなくなる。ずっと逃げてはいられないな。

他にも少しは本を読めるようになってきている。でも、今の仕事が大変過ぎて、帰宅したら疲れて寝て、休みも頭が動かないし、支払いの心配ばかり。何かお金を使うのもためらわれるというか、少しでも減らさないと、低賃金非正規躁鬱だから、生きていけない。

 大好きなゲームの大切なメッセージ「今を全力で楽しめ」

 それが一年以上できていない。

 だけど、そうしなかったら、死んでいるよりもくるしい。

 自殺するにしても、それなりに満足してからがいいな。まだ、書きたいこと、かけないけどやりたいこと、残っているんだ。

 世界はすばらしくても、おれは好かれなかった選ばれなかった。それでもいい、それでもそれなりに楽しいんだって二十代の強がりを、三十代後半の今も忘れないように、忘れているけれど、思い出せるように。

 生きていて楽しいことより苦しいことの方がはるかに多かったけれど、でも世界はわけがわからなくって、好きだ。

 すきなら、しかたない

おえかき療法

 仕事がとても忙しい。自分としてはかなり時給が良い仕事を見つけたのだが、その分服装はスーツで仕事も覚えることが多くて、やれるか?ってな日々。

 でも、やらないと後がないというか、借金は過去最高額。三十代後半戦、人生もう終わってんなって感じだ。

 小説はずっと書けていない。構想の欠片はあるが、支払いと疲労でそれどころではない。

 でも、誰かの作品を見なければ、感動したり何らかの刺激を受けなければ作品をうみだすのは困難だ。

 まともに映画を見たのは何か月前? ずっとギャンブルに、不安に依存していた、愚かな俺。そのせいで大切な物を沢山手放して、報いを受けている。

 作品作りに専念したいって思っていたのに、借金返済に追われる日々。これがあと何年つづくんだろう。それを終えた時、俺は多分40代で、そしてまともな人間になれているだろうか、希望を捨てずにいられるだろうか。

 下らない悩みは尽きない。でも、久しぶりにアクリルで画を描いた。絵具でちゃんと絵をかく、というのが十代の頃に諦めてしまったことで、一年位前からちょこちょこかいていたのに、ギャンブルと借金でそれどころではなくなった。

 ずっとかけなかったし、書く気がおきなかった。でも、先週と今日の休みで一枚づつ画をかけた。稚拙だなあ、十代の高校生のえだなあ、そう思ってしまうけれどお絵かきはたのしい。身体に良い

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 十代の頃、自分には写実的な画を描く力が無いと思って画を諦めて小説を書くようになった。漫画もパースがとれないし机が無いから諦めた。映画関係は人と関われないから諦めた。色々諦めたしできなかった人生だけれど、一人でやることならば、まだぎりぎりできるのかもしれない。

 絵画療法なるものを目にする時があるが、俺は本当に画を描くことや物作りは健康に良いと思う。おれはすぐ、上手い人の作品と比べて、自分の作品をこの程度かよって思って無意識に採点してしまうのだが、それでも、画を描くときは雑念から遠く離れている。

 鳥のこと、花のこと、リスのこと。対象のことをじいと見て、その姿を作り出したい見たい触りたいと思う。

 おえかきができるなら、まだどん底ではないんだな、俺。

 アクリル絵の具が少し減ってきたし、また0号の絵筆が死んだし、出費ばかりの人生だけど。

 諦めていたし、この先明るいことなんてないとしても、自分で明かりを探しに行かなくっちゃ自殺より哀しい。多分。

 (楽しく)小説を書くことは、俺が何かを楽しんでなければかけない。借金に追われて抗不安剤抗うつ剤を飲みながら、たのしみなんて考えられないよ、って毎日思ってる。それでも明かりを探して彷徨うしかない。

 絵筆を、かすかな明かりにして。

か細い光

メンタルも金銭的にも最悪なことになっている。

新しい仕事が始まった。最初はどこだってきついのが当たり前だが、きちんとした社会人の服装を求められて、出費がとても痛い。安いワイシャツだって、一枚2000円はする。それに、服は安物過ぎるとすぐ駄目になるし。

 イライラして、辛くって悲しくってまたギャンブルに逃げて大金を溶かした。この繰り返し、何度目だろう。何度もやめようとしているのに、繰り返す依存症。

 自分がこんなに愚かだとは思わなかった。いや、前は別の金のかからないことに依存していたのだ。それがなくなって、今の俺は生活の不安と疲労とストレスばかり。楽しみなんてない。

 なんて貧しい人生だろう。一人で求められていないエゴイスティックな小説を書き続けて、それでいいと思っていたのに、働くのが無理でお金が欲しいと思ってギャンブルに手を出し、結果以前よりずっと必死で働き、本を読んだり書いたりする時間も力もなくなってしまった。

 自殺一歩手前。薬を飲んで踏みとどまっている。

 いや、薬だけじゃない。まだ、書きたいものがあるから。書かないと、俺は駄目になってしまうから。そう思いつつも何か月もまともな文章を書けないでいる。辛い。

 

 俺は沢山の物を持ち合わせていないけれど、美術とかは、大好きだったのにな。その好きな気持ちさえ、今はか細い、消えかけている。

 これが完全に消えたなら自殺しよう。その前に、できたら、小説を書きたいな。

 

 とても久しぶりに恵比寿の写真美術館に入ったので、その記録を。

光のメディア、という題名で、様々な年代の人達の(主に)光をテーマにしたような作品が並んでいた。

 やはり、展示されている作品をみるというのはいいことだ。幸福な時間だ。じっと、作品と対峙する時間。幸福な時間。

 パンフにあった、スティーグリッツの『イクィヴァレント』がパンフのより小さくて(ほぼ同じ大きさ?)少し迫力がなかったように見えたのが残念。好きだけどね。見えない物を俺も見てみたい見出したいな、

 ぱっと見で、クレジットを見ないでも誰の作品か分かった人はマン・レイ位。彼の作品は昔のヴォーグっぽい感じの、ロマンチック・エレガントで好き。

特に気になったのが、ジェームズ・ウェリングという写真家の作品が、題名もそうだが抽象表現主義のモノクロ絵画って感じで好き。写真というか、ほぼ油絵の抽象画ってかんじだった。モノクロの線がランダムに配置されている感じの「写真」この人気になるな。画集欲しいな。

お金なくて無理だけどさ。

 

正直、メンタルも支払い状況も最悪でさ、今日もずっと寝てた。でも、好きな物について書いたらほんの少しだけ元気が出てきた。

 好きだって言ってなきゃ、死んでるのと一緒だな。不安に押しつぶされるとしても、それまでは何かを好きでいたいな。また、思い出したいな

 借金があって、人と一緒に働くのが物凄く辛い(は?)けど、それよりも好きなものが作れない描けないそんな余裕までなくしてしまった自分が情けなくってくやしくって辛い。

 この借金を返すのはあと何年かかるだろう。それまで俺はまともだろうか。生きているのだろうか。

 なんか、無理かもしれないって思う笑 でも、その前に一作、新しいのを書きたいんだ。

 

 小説を買ってくれた某さん、ありがとう。

俺は敗北するけれどそれは今日ではないって嘯いて

誕生日はできたら休みをいれるようにしている。仕事の時は終わった後、ささやかでも自分の好きな物を買うようにしている。

 借金があって誕生日を迎えるのは初めてだ。その上求職中。

 最近は週6日働いて求職活動もしていたので精神も体力もボロボロだ。眠れないし夜に起きるし、ずっと気持ちに余裕が無くて泣いたりイライラしていた。

 でも、それは自分の責任だ。逃避のツケが回ってきたことだ。それでも、辛いものは辛いし、とても小説を書くどころか読むことすらできない日々。

 自分が出来ることというか、続けていることは本を読むこと、小説を書くこと位なのでそれを失っている今の俺はがらんどう。支えも支柱もない。
 
 このまま色んなことを諦めて終わっていくのかな。おれなりに色々努力はしたから。

 なんてことが頭をよぎる。希死念慮と破滅願望の薄い膜につつまれて生きている日々。腐った人生。

 今日は面接だった。運よく次の仕事が決まった。

 支払いは破綻しているから、日雇いで稼がねばならないし、次の仕事への不安やふたんも大きい。

 それでも、少しだけほっとした。前を向かなければ何もかも失う、諦めて終わり。やっぱ、やだなって思う。

 面接が終わり久しぶりに上野を歩いた。お店をひやかすと、物の値段が全体的に上がっているのをこの街でも感じた。そのまま歩いて秋葉原へ。二十代の頃はゲームやらパソコンやらを買っていた。

 借金でもうほとんど売り払ってしまったが、大好きなマジックザギャザリングもそこそこ買っていたっけ。

 でも、今はネットで買い物ができるし何より俺には金が無い。コロナのせいもあり、秋葉原も色んな店舗が閉店して街としての活気を失っているというニュースを度々目にした。

 オタク趣味と呼べるほど金をかけているわけでもないのだが、秋葉原もさびれていくとしたら、寂しいなって思う。オタクの憧れの街、という分かりやすいアイコンが消えるのが何だか切ない。中野も好きだけどね。

 結局街では安売りされていたチョコレートを買っただけで、それが自分へのプレゼントになった。いつもなら形が残る物を買うのだが、そんな余力はなかった。俺は支払いの心配をしなければならないのだ。

 とはいえ、最近少し良いこともある。漫画アプリをずっと見ていて、久しぶりに漫画って面白いなっていう気持ちを取り戻している。漫画すら読めなかった日々。ギャンブルと不安に依存していた日々。

 そんなのより、誰かの作品にわくわくしている方がずっと楽しい。破滅の、愚かな楽しさもある。俺は身に余る大金を使ってそれを楽しんでいたけれど、もう終わりにしたい。

 俺も作品作りたいな。夢を見るのに年齢は関係ない、かもしれないが、その人間の積み上げてきたものや環境によって困難にはなる。俺はまだ大丈夫だ、情熱が完全に消えるまでは大丈夫だ、そう思いつつも、支払いや精神の摩耗により擦り減っているのは感じている。

 三十代も後半戦。二十代の頃、三十代前半の頃、自分が四十になるなんて想像をしなかった。想像しても現実味が無かった。

 このままいくと、俺は作品もろくに作れず、低収入で人間関係や自分の精神とお金に苦しみながら駄目になって行く姿が濃厚だ。

 そんなことが頻繁に頭をよぎるが、俺は俺の作った作品が好きだ。まだそう言える。自分の作品が好きではない、或いは好きだったと言ってしまう時、俺は自死のような状態なのだろう。

 とはいえ、ずっと書くことから離れているのだから、この書きなぐり雑文も酷い有様。リハビリ現場の文章。

 自分の好きなことを書いていかなきゃなと思う。意味が無くてもお金をうまなくても必要とされなくても。俺は十数年そうやって生きてきた。きっとこれからも。俺の個人的な満足以外何も生みださないとしても、そうしなければもっと俺は自分がどうでもよくなるから。

 書くこと、生きることだ。大げさかもしれないが、単に他の物を持っていないのだ。小説を書いている時、俺は豊かだ。誰かに、誰かの作品に触れている時もきっと。

 だから辛くとも意味が無くても虚しくても質が低くても描かねばならない。書くことで救われる、錯覚ができる。

 俺は敗北するけれどそれは今日ではないって嘯いて。

柩を飾ろう

 最近は週六で働いている。短期の仕事ももうすぐ終わりだから、新しい仕事も探している。体力やメンタル面で不調を感じる。寝られない、夜中や早朝に起きてしまう。疲れがとれない。怒りやすくなったり突然わいた不安で頭が支配されたり。

 少しお薬を減らすように挑戦している。薬を飲んでいると感情面、精神的には安定するがやる気が失せてしまう。仕事中というか、仕事は当たり前だが値段分はきちんとこなす。でもそれでせいいっぱいで楽しいことをしようとか自分の好きなことをしようとする気が失せた。

 こんなからっぽのままで生きられるのだろうか。

 というか、楽しくないからやめた方がいい。借金返済最低限の収入を得て生活安定、不安を削る。それが一番だと思うがそれのことで頭が支配されている。

 前から漫画アプリで漫画を読んでいることはあったが、或る時スイッチが入ってひたすら読みまくっていた。漫画は大好きだったはずなのに、新しい物を読むことがなくなっていた。好きな漫画家の作品や軽く読めるものだけをただ読むだけ。

 でも、知らない人のもとにかく片っ端から読み続けた。

 あ、俺漫画好きだ、漫画面白い! と思える位に回復していたことに気付いた。借金将来生活の不安から、漫画を面白いと思える心さえ失っていたことに自分で気づいて本当に恐ろしいなと思った。

 一日で数万負けが当たり前。そんなギャンブル漬けの生活をを十ヶ月近く続けていた。それ以前、俺はほぼギャンブルをしなかった。数千円かけることすらもったいないと思っていた。

 でも、俺は弱かった。弱っていた。少しのお金で生活を安定して、画や小説をかいて生活をしたかったのに、その結果は借金の為にメンタルの薬を飲みながら不安と戦い働く日々。

 たまに、もう駄目だとか逃げ出したい、死にたい「ギャンブル」で一発逆転を狙いたい。そういう思いがよぎる。きっともうこういう思考は一生消えないんだなと思う。

 でも、誰かの豊かな作品に触れている時にはそういう不安や依存や衝動がやわらぐ。ギャンブルで生活が壊れ苦しんでいるが、俺は否定しない。自分の人生をこれから楽しまなくっちゃ。それに、俺にはギャンブルよりも病気よりも大切な物があったんだ。

 久しぶりにレイハラカミをずっと聞いていて、この人が死んだなんて信じられないけれど、彼の音楽はずっと残る。ありがたい。好きな物を好きだと言える感じられる喜び。

 ハービー ハンコックを数年ぶり? に聞いてああ、気持ちいいなあって思った。楽しまないと自分の生活を。ビル エヴァンス。セロニアス モンク。デューク エリントン。ジャズ、特にピアニストが好きだった。俺がそれを忘れていても音楽を聞けば素晴らしさや感動は瞬時に蘇る。

 カンディンスキーの本を読んでいて、抽象画好きだなあって気持ちを思い出す。大学に入ってミニマルアートや抽象表現主義を知った。あの頃の俺は自分が画を描きたいなんて思えなかった。下手だから向いていないと思って諦めていた。

 三十過ぎてようやく画を練習すること、描くことを再開したが、負債と仕事探してそれどころではなくなった。

 でも、何も作れない生活はむなしい。俺は小説を書く以外はほぼ何も能力がないし、他の人が持ち合わせてたり努力して手に入れた物を持っていない。 

 精神的に追い詰められて、書くことを失ってお金の為に労働に耐える日々。もしかしたら、色んな人にとっては当たり前の日々。

 そんな日々の中で楽しみもなくしてしまったなら。何も楽しいと思えなくなったなら。

 今も体調もメンタルもよろしくない。いつ駄目になるのか分からない。でも、俺は誰かの作品が、自分が作品を作ることが好きだって思い出せてきた。

 こんな単純なことを、俺はすぐに忘れる。

 俺の好きな物は、ほぼお金にならなかった。支払いだけに心を削られる日々。

 でも、俺も生活を立て直してものづくりを再開したい。何かするにはやはりお金がかかる。そして新しいことをしなければ俺は駄目になっていくだけだ。

 借金抱えて金を限界まで借りて勝負して終わったら死ぬってもありだと思うしそういう考えがちらつく。でも俺はそういうヒリヒリした躁の世界よりも制作の方が楽しかったはずなんだ。自分の作品と誰かの作品が大好きで楽しくって仕方なかったはずなんだ。

 この先はずっと不安だ。俺の未来が明るいなんて全く思えない。どんどん精神的肉体的金銭的に悪くなっていく。しかたがない。俺はボロボロになって駄目になるだろう。でもそれは今じゃない。

 灰になる前に、楽しいことが増えたらな。それをできるのは自分自身しかない。その楽しみが不安やギャンブルや人への依存ではなく、何かを作ることでうめられたら。

 俺を埋葬するとして、棺桶に飾るのは自分の、誰かの作品や言葉がいいな。

刺青も花も買えない人生

短期派遣あるあるなのだが、大量に採用して、人がぼろぼろ辞めていく。

たまたま俺と数名は面倒な仕事の担当になった。それなのにきちんと教えてくれないのと質問に対して回答すると言っていてしない、でもミスの報告はどんどん上がるという状況。俺以外の人もかなり困っていたが、俺は躁鬱の症状がかなり悪くなって、お金の為に働かなきゃいけないのに、辞める相談をした。

 担当者の人はきちんと話を聞いてくれた。その後、別の人から真面目にやってくれているから、面倒な仕事抜きでつづけてくれと打診があった。

 相談した時はすぐにでも辞めたいと話していたが、面倒な仕事を免除してくれるなら月末までは頑張らせていただきます、と告げた。

 結果、その仕事は免除されなかった。どういうやりとりがあったのか分からないが、ああ、やっぱりそんなもんだなと思った。

 でも、ストレスや不安や怒りやら、仕事やら別の人間関係とかで、休みにかなりの金額をギャンブルにかけて、溶かした。

 つかってはいけないお金だった。自分でも引いた。一人暮らしをしてから今までで、一番金銭的にも精神的にもヤバイ。

 家でずっと寝ていたい。やる気が出ない。ふとした時に不安や衝動に襲われる。ここまで落ちているのに、まだギャンブルがやりたくなるという愚かさ。

 ただ、一番辛いのは、小説が書けていないことかもしれない。書きたいモチーフがないわけではないし、創作意欲がゼロになったわけでもない。でも、これからの不安と共に何を書いても手ごたえがないのがきつくなってきた。

 普通の生活が、最低限の生活すらおくれない状況。そんな時に自分だけの小説を書く余裕がない。

 愚かで、辛い。ギャンブルで負けたことに関して後悔はあるが、ずっと、自分以外には必要とされない小説を書いて来たことには全く後悔していない。でも、書けないとな。からっぽ以下だ。生きる理由が薄れていく。

 好きな物を見て触れて読んで、自分でも何かを作ることが、自分の人生の慰みであり光であったのに。

 何もできないし、生活すら困難だと、本当に終わりにした方がいいのかと悩む。でも、食いしばっている。この先のことは分からない。辛い。

 

雑記

【電子版】八敷、墨を刺す(R18)コオリオニ番外編同人誌

買う。

普段電子書籍を買わないので、買うのに一時間近くかかった笑。内容はとてもとても良かった。紙の本で欲しくなった!!
本編のサイドストーリーとしても、単品としても楽しめる。ネタバレになってしまうからぼかしてしか書けないが、登場人物のすれ違いや、通じ合っているのがほんと胸に来る。

 普段同人誌はほぼ買わない。でも、梶本レイカの商業で出ているのは全部持っていて、登場人物の激しい愛情表現とスレ違いや愚かでかっこいい生きざまがとても好きなのだ。

なかでも『コオリオニ』は本当にすきな作品で、誇張ではなく何度も読んで十回以上泣いた。主役級の三人の物語が、我が身の如く胸に刺さる。過剰すぎる愛情と憎しみ。愚かな輝き。

 この同人誌の番外編もとても良かった。愛のすれ違いが胸にくるんだ。美しい化け物になる、ピュアで悪意の欠落した翔ちゃん。彼に惹かれながらも微妙に距離をとってしまう佐伯さん。

 俺はこの二人の関係性がとても好きだが、翔ちゃんを幸せにできるのは、やっぱり鬼戸なんだなあと思う。(気持ち悪い個人的感想)

 あと、やっぱタトゥーを入れられている悪人って大好きだ。てか法律で悪人になりたいなら、全員タトゥー必須にしてほしい。 

初めてタトゥーを入れたときの事を思い出した。本当はいかついのを入れたかったが、かなりの金がかかるから別の柄で妥協した。その時は二十代で今よりもさらに短気で無職で、しかし今よりも金があったし、自分にうぬぼれていた。タトゥーを入れられて、痛みはあったが、やがてなれた

何時間も彫られていると、それなりに体力を消耗する(大きい柄は時間あたり幾らみたいな店が多い)。でも、その疲労が心地良かった。完成近くになって、有線?からニルヴァーナが流れてきてとても気分が上がった。男なら皆カートに憧れる。格好よく自殺したいよな。

タトゥーを入れて少しだけ生活が変わった。自分の身体を少し好きになった。
俺はカートの歳をだいぶ過ぎたのに、自殺出来ずに生きている。長生きするのもそれなりにかっこいいと思うけど、たまにあの時に死んでおきたかったとか中学生のようなことを思う。ヤバいね。ヤバさの治療に刺青もっと欲しいな

 でもね、金がないんだ。中年でタトゥー入れるならさ、金に余裕ないと無理だよな

 

 冥婚 は気になるモチーフだ。でも、中国の奇妙でごく一部でおこなわれている風習であるから、資料もなさそうだし俺には書けない。でも、適当な妄想は広がった。

 冥婚bl妄想の続き。灰になった二人はピアノが弾けて、連弾をしている様子を見て、叔父が隠していた二人の恋心に気づく。その後数十年、
攻めは甘やかされた華僑で、優秀で何でも出来たが、小さい頃の夢のピアニストにはなれなかった。受けは貧しい農村大家族。自分が金を稼げない事がコンプレックス 

大都市で攻めがすられた財布を、たまたま受けが取り返し、交友が始まる。自分と違ってきれいな指で、生活や性格に余裕のある彼に、受けは惹かれていく。攻めの人生は順調だが、受けは何をやっても上手く行かず、家族の為に麻薬の密輸に手を染め、成功して大金を得る。初めて家族に褒められ

大都市で攻めがすられた財布を、たまたま受けが取り返し、交友が始まる。自分と違ってきれいな指で、生活や性格に余裕のある彼に、受けは惹かれていく。攻めの人生は順調だが、受けは何をやっても上手く行かず、家族の為に麻薬の密輸に手を染め、成功して大金を得る。初めて家族に褒められ

(マフィア、ヤクザ)という新しい、薄っぺらな家族を得た事に気づき、自嘲の大笑い。誰かのためではなく、欲しい物を手に入れようと決めるが、色んな物が彼には石ころに見える。一方順風満帆だった有能な攻めは、仮⭕通貨で大失敗をして大きな借金を抱える。しかし現実を見ることができない

しかし支払の電話や金策に追われて頭がおかしくなってくるし、家の中の物を売り払う。そんな時、昔買ったしょぼい電子ピアノを見つける。値段がつかなかった物だったが、一応音は出る。本当はピアニストになりたかったと現実逃避をしながら、親に従い大学で経済を学ぶのではなく、音大に行きたかった

なあ等と昔を懐かしみつつピアノを弾いてみる。若い頃馬鹿にしていたショパンやサティが、なぜか美しいと思えてきて、グランドピアノで弾きたいな、生活を立て直していいピアノで音を出したいと夢見る。しかし働くのではなく闇金金策をして仮⭕通貨。失敗をして、どうしようもなくなりボコられ

いるときに、チンピラの兄貴分である受けと数年ぶりに再会。人払いをして、二人きりに。暇つぶしに、攻めの転落ストーリーを聞いていたが、突然、昔の感情を思い出す。彼が、彼の美しい指が欲しい。冥婚をした親族の愚かさを想起し恍惚。

君の指を灰にして食べたいよ
その後で、連弾しない?

 

 その場の勢いで書いた妄想ではなく、形にしたいなあ、でも日本でこれを落とし込むのは薄っぺらくなりそうだなあ。難しい。でも、妄想できて楽しかった。

名取洋之助 報道写真とグラフィック・デザインの開拓者』読む。米『LIFE』で活躍、日本の雑誌でも編集者として敏腕を振るう。かなり厳しい人らしく、気に入らないと土門拳のプリントを破り捨てたそう。芸術写真にも嫌悪。しかし、彼の写真は明朗でセンスが良い。彼の歴史に触れられる良書。

『知られざるアメリカの女性挿絵画家 ヴァージニア ステレット』読む。31才で亡くなったという、彼女のイラストをまとめた一冊。その都合上収録数が少ないのがとても残念。だが、彼女の絵は日本画アールヌーボーやらの影響を感じる素敵な物ばかり。彼女のイラストを纏めてくれた監修の海野弘に感謝

千 宗屋『茶 利休と今をつなぐ』読む。茶道に通じてないし経験もないのに、利休についてはとても気になる存在だ。利休についての本は山ほど出版されている。本書は通俗的な、作り上げられた利休神話へ苦言を呈しつつも、茶道の魅力について語っている。利休について、真剣に語る人は素敵だ。

それはどこか、仏教やキリスト教に通じる気がする。偉大な存在が亡くなっていたとして、弟子とかがまとめた本は本人の考えとは差異があるだろう。本当のことは本人しか分からないけど、残されたものの大きさから、何かを感じ取ることはできる。門外漢のおれにとっても、一生の宿題になりそうだ。

監修・解説『366日物語のある絵画』読む。その名の通り、とても読み応えのある一冊。著者は物語絵の歴史を、絵画が宗教や観念から解放されたルネサンスからはじめる、と語っている。宗教的な大きな物語から、世俗的、個人的なイメージのはばたきへ。美も物語も変化し、広がる。その歴史に触れられる。

 

 十年近く前にも、人生の危機があった。それ以来、今が一番人生としてまずい状況下にある。あの時は二十代だから耐えられたのかな。三十代も後半戦になってきた今は、もう駄目なのかなとよく考えてしまう。

 ずっと耐えてきてうまくいかなくって。そんなの皆人生で当たり前の話なんだけれど、俺はもしかしたら人よりとても過剰に苦しいとか嬉しいとか叫んでいる。それで、普通の人が乗り切れるようなことで一人でパニックになって、それが続いたまま、幕が下りようとしているんだ。

 死ぬ前にしたいことってなんだろう。もう少しまともな、下手なりに画を描いてみるのと、きちんとした本を出したいな。自分でかいた、思い入れのある小説があるから。

 でも、同人誌ではなく、装丁とかにこだわったら何十万かかるのだろう?

 自分以外に一、二冊売れるか? みたいな自己満足の為にそんなことをする意義って。

 でも、数十万、ギャンブルで溶かしてなかったらあったんだよな笑

 失ったお金は取り戻せないし、もっと深みにはまって、本格的借金地獄になるのかな。数十万だか数百万を苦に自殺するなら馬鹿みたいだな。 でも、追い詰められた人は、そういう風に脚をふみはずしてしまうのかな。

 この先の光はみえない。だが、今は薬に依存して歯を食いしばっている。